トヨタ工業学園出身のベテランテストドライバーが語る「いいクルマ」の真髄とトヨタの挑戦

「いいクルマ」とは一体どのような車を指すのでしょうか。トヨタ自動車の企業内学校であるトヨタ工業学園を卒業後、半世紀近くにわたり同社のテストドライバーとして数多くの車種開発に携わってきた菅原政好氏が、その長年の経験から導き出した「いいクルマ」の定義と、彼が特に「すごかった」と評価する一台について語ります。この記事では、菅原氏のキャリアを振り返りながら、激動の時代におけるトヨタのものづくり、特に環境問題への取り組みと企業文化の核心に迫ります。

トヨタ工業学園への道:激動の時代に集結した若者たち

菅原政好氏が宮城県からトヨタ工業学園の門を叩いたのは、1971年のことでした。この年は、大阪万国博覧会の翌年にあたり、国際情勢はベトナム戦争の激化、沖縄返還協定の調印(翌年返還)、中華人民共和国の国連加盟など、大きな変動の時期でした。日本国内では、まさに「一家に一台」の自家用車が実現し始めたモータリゼーションの波が押し寄せていた時代です。菅原氏が入学した1971年、トヨタ工業学園には全国から970名もの男子学生が集結し、全員が坊主頭に学生服という規律の厳しい環境で共同生活を送っていました。東北出身者は少数派で、大半は東海地方の出身者だったと菅原氏は振り返ります。

「兄が地元の整備工場で働いていた影響で、私も自動車に興味を持ちました。学園で技術を学び、卒業後はトヨタで少し経験を積んでから、故郷に戻って兄と一緒に整備工場を経営できたらと考えていたんです」。しかし、彼の計画とは裏腹に、トヨタでの仕事は予想以上に居心地が良く、集中できる魅力に溢れていました。結果として、彼は半世紀以上にもわたり、トヨタ自動車の第一線で働き続けることになります。

「マルハイ」対策:トヨタを飛躍させた環境への挑戦

菅原氏が学園に入学した頃、トヨタ自動車が直面していた最大の課題の一つが「マルハイ」、すなわち排気ガス対策でした。これは、1970年にアメリカで成立した「マスキー法」(大気清浄法)に端を発する環境規制の強化であり、自動車メーカーにとっては極めて高い技術的ハードルでした。具体的には、1975年型車からはHC(炭化水素)とCO(一酸化炭素)を1970年規制の10分の1以下に、さらに1976年型車からはNOx(窒素酸化物)を1971年型車平均排出量の10分の1以下にするという、画期的な厳しい基準が定められたのです。

この規制に対応するため、日本の自動車各社は5年近くにわたり技術開発に注力しました。トヨタは1975年、排気ガス規制対策として、触媒方式と複合渦流方式を組み合わせた技術の採用を決定します。菅原氏はこの決断がトヨタの運命を大きく左右したと語ります。「排気ガス対策で触媒方式を導入できたことが非常に大きかった。これにより、トヨタはクルマの性能を落とすことなく規制に適合できました。ここからトヨタは一気に波に乗っていったんです。」これは、環境規制を単なるコストではなく、技術革新と競争力向上の機会と捉えたトヨタの先見の明を示すものでした。

トヨタ工業学園出身、30年以上のキャリアを持つトヨタ自動車のベテランテストドライバー菅原政好さんトヨタ工業学園出身、30年以上のキャリアを持つトヨタ自動車のベテランテストドライバー菅原政好さん

社長が頭を下げた日:忘れられないトヨタの精神

排気ガス対策に取り組む過程で、トヨタには忘れられないエピソードがあります。触媒方式の導入以前、トヨタはホンダの技術を採用することを検討した時期がありました。しかし、そこには解決できない技術的課題が存在しました。この時、当時の豊田英二社長は、ライバルである本田宗一郎氏のもとに自ら赴き、技術協力を依頼するという異例の行動に出ました。菅原氏は当時すでに学園を卒業し技術部に配属されていましたが、この出来事をはっきりと記憶しています。

「社長が他社に頭を下げたことに対して、申し訳ないという思いが非常に強かった」と菅原氏は述懐します。これは単なる技術的な課題解決に留まらず、企業のトップがプライドを捨ててでも最善を尽くすという、トヨタのものづくりに対する真摯な姿勢と、日本の自動車産業における相互扶助の精神を象徴する出来事でした。この経験が、その後のトヨタの技術開発における自信と、謙虚に学び続ける企業文化を育む上で重要な礎となったことは間違いありません。

経験が語る「いいクルマ」とトヨタの未来

菅原政好氏の30年を超えるテストドライバーとしての経験と、トヨタ工業学園での学び、そして「マルハイ」規制という歴史的転換点におけるトヨタの挑戦は、「いいクルマ」の定義が単なる性能やデザインだけでなく、それを生み出す人の情熱、技術力、そして社会への責任感によって形作られることを示しています。トヨタが困難を乗り越え、世界的な自動車メーカーへと成長できた背景には、菅原氏のような現場のベテランたちのたゆまぬ努力と、時にライバルに頭を下げることを厭わない謙虚な姿勢があったのです。今後もトヨタは、変化する時代の中で新たな「いいクルマ」を追求し続け、その道のりには常に「人づくり」の精神が息づいていることでしょう。

参考資料