浮世絵展で蘇る40年前の「理不尽教師」の記憶

現在、佐賀県立美術館で開催中の「北斎・広重 大浮世絵展」は、まさに時を超えた美の饗宴でした。葛飾北斎の「冨嶽三十六景」や歌川広重の「東海道五十三次」、「名所江戸百景」など、教科書で馴染み深い作品から、歌舞伎絵、妖怪絵に至るまで、236点もの浮世絵が展示され、特に「神奈川沖浪裏」の実物を鑑賞できたことは至福のひとときです。しかし、この浮世絵鑑賞は、私自身の過去、特に中学時代のある「理不尽教師」にまつわる苦い記憶を呼び覚ましました。

歌川広重による浮世絵「東海道五十三次之内 日本橋」展示風景。歴史的な浮世絵展の雰囲気を伝える画像。歌川広重による浮世絵「東海道五十三次之内 日本橋」展示風景。歴史的な浮世絵展の雰囲気を伝える画像。

中学時代の美術の宿題と教師の「理不尽」な一喝

中学1年生の夏休み、美術の宿題は「美術館に行き、購入した絵を模写する」というものでした。私は幼い頃から浮世絵に魅了されていたため、迷わず歌川広重の「東海道五十三次」を題材にすると決めました。そこで、浮世絵も多数所蔵している上野の東京国立博物館へ足を運び、55枚組のポストカードセットを購入。「蒲原 夜之雪」を選び、自信作として模写を完成させました。夏休み明け、画用紙を丸めて美術の授業に持参し、その出来栄えに胸を張っていたのです。

しかし、教師は提出された全員の作品に目を通した後、私の作品を見て激高しました。「おい、中川、コレはなんだ!」と。私が「東海道五十三次です」と答えると、さらに「どこで買った?」「国立博物館です」と畳みかけ、「コラッ! オレは“美術館”で絵を買えと言ったんだ。博物館とは言ってないッ!」と理不尽な怒りをぶつけてきたのです。当時中学1年生だった私が、経験豊富な40過ぎの教師に反論できるはずもなく、ただ不満を押し殺して「はーい」と答えるしかありませんでした。この出来事は、未だに私の心に深い傷を残しています。

通知表「1」が突きつけた不条理と「陰湿」な教師像

2学期に入り、美術の通知表が手渡された時、私はその内容に大きな衝撃を受けました。1学期の成績が「3」だったにもかかわらず、2学期はまさかの「1」に急落していたのです。欠席もなく、提出すべき課題も全て提出していましたから、この急落は明らかに夏の浮世絵模写の件が影響していると確信しました。美大の油絵学科出身だったこの美術教師は、常に西洋画の素晴らしさを熱心に説いており、おそらく生徒全員が西洋画を模写してくるものとばかり思っていたのでしょう。

そこに、あえて浮世絵を選んで提出した私のようなひねくれ者が現れた上に、彼が指定した「美術館」ではなく「博物館」で絵を購入してきた。教師はまるで「従順な羊を育てるわが国の教育において、異分子は排除すべし!内申点は私が握っているのだ!」と言わんばかりに、その怒りを成績という形で私に鉄槌を下したのです。冬休みには、この教師が自らの器の小ささを示す「小物」であると結論付けました。さらに、クラスで一番の美少女A子がこの教師に密かな好意を抱いているという噂が、私の腹立たしさに拍車をかけました。当然、3学期の美術の成績も「1」でした。

まんきつ氏による、生徒に厳しく接する昭和時代の美術教師を描いたイラスト。理不尽な教育現場の様子を表現。まんきつ氏による、生徒に厳しく接する昭和時代の美術教師を描いたイラスト。理不尽な教育現場の様子を表現。

昭和の「恐竜系教師」と美術教師の決定的な違い

今振り返ると、昭和時代の教師には本当に理不尽な人物が多かったと感じます。例えば、常に竹刀や巨大しゃもじを持ち歩き、騒ぐ生徒の尻をパーンと叩く屈強な体育教師がいました。また、学習系の教師も、生徒が教科書を忘れたら廊下に懲罰として立たせる、といったことを平気で行っていました。その結果、授業の進捗が遅れることは顧みられませんでした。

野球部の顧問に至っては、練習でエラーをした生徒の尻を金属バットで3回叩き、試合に負けた際には学校に隣接する市民体育館の400メートル・トラックを30周も走らせるという過酷な罰を与えていました。照明設備もないのに、日が完全に落ちてもノックを続け、「先生、見えません!」と生徒が悲鳴を上げようものなら、「あの長嶋茂雄だって、高校時代はボールに石灰を塗って練習をしたんだ!お前らもそうしろ!」と一喝し、練習を延々と終わらせませんでした。

しかし、大人になって社会に出ると、このような「恐竜系教師」に対する怨嗟の声はあまり聞かれません。「昔の教師は無茶苦茶だったよな(笑)」といった珍エピソードとして、笑い話になることが多いのです。彼らの理不尽さや厳しさは、どこか豪快で、時が経てば懐かしさへと変わる傾向があります。

しかーし、あの「陰湿」な美術教師は違いました。彼の行為は、単なる厳しさや豪快さとは異なる、生徒の心を深くえぐるような陰湿さを伴っていました。浮世絵展で再会した北斎が描く妖怪の怨念が、まるで私に宿ったかのように、今もこうして39年前の恨みを書いているのです。彼の理不尽さは、決して笑い話にはならず、私の心の中で生き続けています。


著者紹介

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう):1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌ライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』等。

まんきつ:1975年埼玉県生まれ。日本大学藝術学部卒。ブログ「まんしゅうきつこのオリモノわんだーらんど」で注目を浴び、漫画家、イラストレーターとして活躍。著書に『アル中ワンダーランド』(扶桑社)『ハルモヤさん』(新潮社)など。

参照元

「週刊新潮」2025年7月31日号 掲載
新潮社
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