第二次世界大戦における日本は、米国や中国だけでなくソ連とも戦火を交わしました。その全体像と戦後の国際秩序に与えた影響を新史料で描いた麻田雅文氏の『日ソ戦争』(中公新書)が今話題です。軍事評論家・小泉悠氏との対談から、現在の日露関係やウクライナ戦争にも通ずる新たな視点を探ります。
麻田雅文氏と小泉悠氏が日ソ戦争の歴史的意義と新史料について語る対談風景
「忘れられた戦争」日ソ戦争の全体像と史料の制約
日ソ戦争への関心がこれまで高くなかったのは、史料の制約が一因でした。冷戦終結後、ソ連軍が満洲で鹵獲した関東軍公文書の公開が進み、研究の空白が埋まりました。そこにウクライナ戦争という時代の風も背景に、日ソ戦争への世間の関心が高まり、麻田氏の著作は日本人の戦争観に修正を迫るものです。
全面戦争の規模と戦後の禍根
1945年8月9日のソ連対日参戦で始まった日ソ戦争は、9月上旬まで続きました。満洲、朝鮮半島、千島列島、南樺太が戦場となり、ソ連軍185万人、日本軍100万人超が参加した短期間の全面戦争です。この戦争は、北方領土問題、シベリア抑留、満洲での国共内戦、朝鮮半島の分断など、現代に続く深刻な禍根を残しました。
スターリンの真意:朝鮮半島占領の驚くべき実態
スターリンが当初から朝鮮半島北部を共産化計画していたとの通説に対し、麻田氏は誤りを指摘します。ソ連の最大の関心はあくまで満洲であり、朝鮮半島の占領目標は日本軍増援・退却ルートとなる北部の3港のみでした。ところが、アメリカが北緯38度線以北をソ連に委ねたため、ソ連は急遽、当該地域を占領したのが実態です。
歴史を動かす「泥縄式」の意思決定:歯舞群島の事例
歴史の重要決定は、後から巨大な地政学的野望に見えても、実際は現場の「泥縄式」(場当たり的)な判断の結果であることも少なくありません。その典型例が歯舞群島です。正式命令前、現場のソ連兵が独自判断で占領を進めました。これは、歴史が必ずしも計画通りに進むわけではないことを示唆します。
日本軍が最後まで抱いた「淡い期待」
終戦間際、日本軍はソ連に英米との講和仲介を期待する「淡い期待」を抱き続けていました。この期待は、当時の日本の外交戦略、そしてその後のソ連による不可侵条約の一方的破棄を理解する上で重要な視点です。
麻田雅文氏と小泉悠氏の対談は、これまで「忘れられた戦争」とされてきた日ソ戦争の真の姿を浮き彫りにします。新史料が示す多角的な側面は、北方領土問題や現代の日露関係、ウクライナ戦争など、国際紛争を深く理解する鍵となります。日ソ戦争の歴史的意義を再認識することは、現代日本が直面する課題を考察し、未来への教訓を得る上で不可欠です。