日本の高齢化が進む中、多くの夫婦が「穏やかな年金生活」を夢見て老後を迎えます。しかし、子どもの離婚や予期せぬ出戻りといった事態は、その生活設計を大きく狂わせる可能性があります。子を思う親心から経済的支援を続けるうち、気づけば大切に貯めてきた老後資金が底を尽きかけているというケースも珍しくなく、これは現代社会が抱える深刻な問題の一つです。
穏やかな年金生活を襲う予期せぬ現実
かつて活気のあった商店街もシャッターを下ろす店ばかりとなった一角で、佐藤健一さん（75歳・仮名）と妻の和子さん（73歳・仮名）は、慎ましくも平穏な日々を送っていました。夫婦で長年切り盛りしてきた青果店を5年前に畳んでからは、二人合わせて月15万円ほどの年金収入で生活を営み、こつこつ貯めてきた1,000万円ほどの貯金が老後を支える柱となっていました。「贅沢さえしなければ、たまに旅行にも行ける」と、二人は将来に大きな不安は抱いていませんでした。
しかし、その穏やかな日常は、三人の娘のうち長女の美咲さん（45歳・仮名）からの突然の電話によって一変します。夫の不倫が原因での離婚を告げ、一人息子の翔太くん（10歳）を連れてしばらく実家に身を寄せたいという懇願でした。「生活費はきちんと入れるから、翔太が中学に上がるまでには何とかするから」という美咲さんの言葉に、健一さんと和子さんは信じるしかありませんでした。老夫婦二人の静かな家に、40代半ばの娘と孫が転がり込んできたことで、最初は久々に孫と暮らせる喜びで家の雰囲気も明るくなりました。
年金生活に不安を抱える高齢夫婦。老後資金の枯渇と出戻り娘との生活を示唆する情景。
ひとり親世帯が抱える経済的困難と親への影響
美咲さんも約束通り、最初の数ヵ月は食費として月5万円ほどを家に入れていました。しかし、厚生労働省「令和3年度全国ひとり親世帯等調査」によると、母子世帯において86.3％が仕事をしているものの、正社員は48.8％と半数以下に留まります。そのため、仕事における年収は平均236万円と決して十分とは言えません。また、養育費の取り決めをしている母子世帯は46.7％で、養育費の平均月額は50,485円です。このデータから見ても、美咲さんが毎月5万円を家に入れることは、彼女にとって大きな経済的負担であった可能性が高いでしょう。
美咲さんの収入が不安定になるにつれて、家に入れる金額は徐々に減り、ついには滞りがちになりました。健一さんと和子さんは、娘を助けたい一心で美咲さんに強く聞くこともできず、生活費の不足分を貯蓄から補う日々が続きました。孫の教育費や食費、光熱費など、予期せぬ出費がかさんでいくにつれ、1,000万円あったはずの貯金は、見る見るうちに目減りしていったのです。
忍び寄る老後資金枯渇の影
佐藤夫婦のケースは、年金収入と貯蓄で平穏な老後を過ごすはずだったにもかかわらず、子どもの予期せぬ「出戻り」によって生活基盤が揺らぐという、現代日本の高齢者家庭が直面する現実を浮き彫りにしています。親の情から子どもや孫を支えたいという思いは尊い一方で、その結果として自身の老後資金が急速に枯渇し、最終的に生活が破綻するリスクを抱えることになります。「いつまでいるの？」と聞けないまま、貯金が底をつく日は刻一刻と近づいているのです。これは、個人の問題に留まらず、社会全体で考えるべき課題と言えるでしょう。
