1995年、東京八王子市で3人の女性が犠牲となったスーパー「ナンペイ大和田店」強盗殺人事件。この未解決事件の核心に迫るべく、警視庁捜査一課はカナダ在住の中国人K・Rの身柄引き渡しに挑んでいた。当時の警視庁捜査一課理事官であった原雄一氏(69)は、警察庁、外務省、法務・検察当局といった国内機関に加え、カナダ司法省との前例なき折衝を重ねた。当初、外務省関係者からは「前例がない」「本気なのか」「カナダ政府が認めるはずがない」といった懐疑的な声が上がった。この壮大な国際捜査がいかにして難航を極め、そして実現したのか。
八王子スーパーナンペイ大和田店の外観:未解決の強盗殺人事件現場
前例なき交渉の舞台裏:複雑な身柄引き渡しスキーム
原氏は関係当局と粘り強く協議を続け、その熱意は徐々に各省庁、特に外務省旅券課の理解と協力を得ていった。彼らが構築した前代未聞の「身柄引き渡しスキーム」は以下の通りである。まず、2002年に名古屋空港から出国した際、(1)実在する日本人男性名義のパスポートを不正に入手し、(2)そのパスポートを使用して出国した旅券法違反の逮捕状を取得する。これに基づき、カナダ司法当局にKの身柄拘束を依頼。現地の裁判所の承認を得た上で、日本から捜査員を派遣し、Kの引き渡しを受けるというものだ。
日本とカナダ間には犯罪人引き渡し条約がないため、カナダ側が逮捕・移送を拒否する可能性が高いと当初から予測されていた。そのため、最初から真の目的、すなわち1995年の八王子スーパーナンペイ強盗殺人事件の立件が最終ゴールであることをカナダ側に率直に伝える戦略が取られた。Kが容易に口を割らない可能性を考慮し、身柄確保後も、Kが関与していると判明している日中混成強盗団による余罪で再逮捕を繰り返し、捜査時間を確保する算段であった。
カナダ当局との粘り強い対話:越境捜査の実現
予想通り、カナダ司法省は初めてのケースに戸惑いを見せた。これに対し、在カナダ日本大使館を介し、包み隠さず本音で説得を続けた。10時間以上の時差があるカナダ側とのやり取りは主にメールで行われた。前日送った質問や要請への返答を翌朝確認し、その日の夕方までに日本側が回答を返信。カナダの検察官と日本国大使館書記官が閲覧できるような、密な連携が続いた。
原氏は当時を振り返り、「カナダの検察官たちは協力的でした。捜査当局に属する人間として、“遺族のためにも、子供をも残虐に殺害した犯人を捕まえ、コールドケースを解決したい”という強い思いが通じ、共感してくれたのでしょう」と語る。そしてついに2012年9月、カナダからKの身柄引き渡しが決定したという朗報が届いた。Kの弁護側は控訴したが、最終的に2013年には身柄が日本へ引き渡された。日本の関係省庁をまとめ上げ、カナダ司法当局を動かしたこの「未曾有のオペレーション」は、作業開始から実に丸2年の歳月を費やして完遂されたのである。
身柄引き渡しと異動:捜査の行方への懸念
しかし、Kの身柄引き渡しが決定したまさにその日、原氏の職責に大きな変化が生じた。警視庁本部捜査一課から築地警察署の副署長への異動が命じられたのである。捜査一課長や刑事部長からは「あとは後任者たちがしっかり捜査するから心配するな」と諭されたものの、原氏はこの人事に大きな驚きと懸念を抱いたという。「今、私を外して大丈夫なのだろうかと思いましたが、組織の方針ですので、従わざるを得なかった。当然、Kの取り調べは、中国人強盗団の捜査に携わってきた熟練の警部補たちがやるものと思っていました」と、長年の努力が実を結んだ直後の異動に複雑な心境を覗かせた。
結論
八王子スーパーナンペイ強盗殺人事件における中国人容疑者K・Rのカナダからの身柄引き渡しは、日本の捜査当局と海外当局との間に前例のない協力体制を築き、困難な国際捜査がいかにして実現されうるかを示す画期的な事例となった。関係各省庁の連携、そして何よりも担当者の粘り強い交渉と情熱が、この「コールドケース」の解決に向けた大きな一歩を可能にしたのである。しかし、身柄引き渡しが実現した直後の主要捜査員の異動は、事件の全容解明に向けた今後の捜査の進展に、新たな注目と懸念を投げかけている。この国際的な成果が、未解決事件の解決、そして被害者遺族の悲願へと繋がることを期待する。
参考文献
- 鹿島圭介/ジャーナリスト. (2025年8月5日). 第3回【平成を代表する「未解決事件」の捜査が難航を極めた理由…夜の街に“潜入”した捜査員を襲った“身内からの妨害”】からの続き. (Source: Daily Shincho, Yahoo News).