村田厚子さん(77歳)は、還暦後に中国留学を9回も重ねてきた、底抜けに明るくエネルギッシュな方です。先日、半年間の中国語学留学を終え、広西チワン族自治区桂林陽朔から帰国されました。中国で最年長の日本人留学生かもしれない彼女は、年齢をものともせず、「人生はいつでも拓ける」という力強いメッセージを自らの生き方で体現しています。
万里の長城マラソンが拓いた新たな道
村田さんの初めての中国への旅は、驚きと不安に満ちていましたが、同時に農村の人々の温かさにも触れる機会となりました。そのきっかけは2010年、偶然知った「万里の長城マラソン大会」です。写真でしか見たことのない雄大な城壁を実際に走りきりたいという強い思いに駆られ、意を決して中国へ渡りました。マラソンに挑戦するも、平坦な道が一切ない過酷なコースのため、残念ながら途中で棄権。しかし、この経験が、「もっと中国の文化や人々と触れ合いたい」という彼女の深い探究心を掻き立て、一人でしばらく中国に滞在することを決意させます。長城の麓の静かな農村を歩きながら、新たな宿を探し始めました。
言葉を超えた心温まる出会い
行き当たりばったりで見つけた旅館では、紙に書かれた料金を見て「高い!」と感じましたが、中国語が分からず交渉できないままチェックイン。気分転換に散歩に出ると、一人の農家の女性に優しく話しかけられました。身振り手振りから、なんとなく相手の言いたいことが理解できた村田さんは、言葉の壁を越えたコミュニケーションの可能性を感じます。二人で歩くうちに女性の家に着くと、そこには「農家院」と書かれた民宿の看板が。料金は先ほどの旅館の半額で、日本の宿とは異なる素朴な魅力がありました。村田さんは元の旅館のキャンセルを申し出るも、「ノー!」と怒鳴られ返金されず、恐ろしくてお金を諦めてしまいました。
しかし、「農家院」に戻ると、畑から帰ってきた女性の夫が満面の笑顔で迎えてくれ、心は安らぎました。夕食は素朴ながらも心温まる水餃子と採れたての畑野菜が振る舞われ、そのもてなしに触れます。食後、主人が中国語で『北国の春』を朗々と歌い出すと、村田さんも日本語で声を張り上げて合唱。この歌は1980年代から中国で広く親しまれており、言葉の壁を超えた、心温まる国際交流と深い絆がまさにそこで実現しました。この経験こそが、その後の9回にわたる留学へと続く原動力になったのです。
還暦後に中国留学を重ねる村田厚子さん(左)が現地でできた友人(馮さん、21)と雲南省大理市の洱海環湖公園で笑顔を交わす様子。
生涯学習が拓く、年齢を超えた可能性
村田厚子さんの物語は、その底知れないバイタリティと、何歳からでも新たな挑戦へ向かう勇気を鮮やかに示しています。還暦を過ぎてからの9回にわたる中国留学は、まさに「生涯学習」と「年齢にとらわれない生き方」の証です。万里の長城マラソンでの挑戦から農家の人々との出会いまで、彼女の経験は異文化理解と新しい挑戦がもたらす深い喜びを教えてくれます。村田さんは自身の生き方を通じ、「人生はいつでも拓ける」という普遍的なメッセージを私たちに投げかけ、年齢や状況に関わらず誰もが前向きな一歩を踏み出すことができると強く示唆しています。