近年、世界中で議論が活発化している「男女賃金格差」の問題。この複雑な課題の背景には、男女間の「リスク回避度」や「競争的な環境への選好」といった行動様式の違いが影響している可能性が指摘されています。経済学と心理学の視点から、これらの男女差がどのように賃金格差に寄与しうるのかを深く掘り下げます。
リスク選好における男女差の研究と実証
男女がリスクに対して持つ選好、すなわちリスクを好むか避けるかの度合いに違いがあることは、古くは1970年代の心理学研究から知られていました。経済学の分野では、1980年代にはギャンブル、飲酒、ドラッグ、犯罪といった高リスク行動や、特定の職業選択における男女差に注目した研究が開始されました。特に、1990年代後半に実験経済学が発展すると、様々な実験室実験を通じて、男女間のリスク選好の違いが具体的に検証されてきました。
これらの広範な研究結果から一貫して明らかになったのは、環境、文化、あるいはリスク回避度を測定するためのタスクの内容にかかわらず、女性は男性に比べてリスク回避度が強い傾向があるということです¹²。この傾向は、一般の勤労者の投資選択においても確認できます。例えば、年金プランにおける資産配分選択を比較すると、独身女性は独身男性に比べて、明らかに安全資産への配分を高くする傾向が見られます³。
心理学的な研究によると、こうしたリスク選好の違いは、悪い結果を予想した際に男性よりも女性の方が強い不安や恐れの感情を抱きやすいことに起因するとされています⁴。
男女間のリスク選好度の違いが経済的選択に与える影響のイメージ
職業選択と投資判断への影響
投資の原則として、リスクと期待収益率の間には明確な関係が存在します。預金や国債といった安全性の高い投資の期待収益率は一般的に低く、一方で株式投資、不動産投資、ベンチャー企業への投資など、リスクが高いとされる投資ほど高い期待収益率が見込まれます。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という格言が示す通り、大きな成果にはそれ相応のリスクが伴うものです。
女性のリスク回避度が高いという傾向は、職業選択においても示唆的な影響を与え得ます。例えば、安定しているものの、大幅な高収入が期待できない職業を女性が選択する傾向が強い可能性があります。また、ビジネスにおける投資判断においても、大失敗を避ける選択を優先する一方で、大きな成功も期待しにくい選択を選びがちであると考えられます。このような選択の傾向が、結果として男女間の賃金格差に寄与している可能性も指摘されています。
注意点:平均値と例外、そして管理職の視点
しかし、ここで強調すべきは、これらの研究結果が男女の「平均的な違い」を示しているという点です。個々人を見ると、男性の中にもリスク回避度が非常に高い人がいれば、女性の中にも恐れずに高いリスクを取る人が数多く存在します。人間の行動は多様であり、単純な二元論で語ることはできません。
さらに、管理職の地位にある従業員、または管理職になるためのトレーニングを受けた従業員を対象とした複数の研究では、男女間でリスク選好に統計的な違いが見られないことが示されています。これは、特定の役割や訓練がリスク選好の傾向に影響を与える可能性を示唆しており、個人の能力や経験が性差を上回る要因となりうることを示唆しています。
結論
男女間のリスク選好度の違いは、長年の研究によって確認されており、それが職業選択や投資判断における経済的行動に影響を与え、結果として男女賃金格差の一因となっている可能性が指摘されています。しかし、これはあくまで平均的な傾向であり、個々の選択は多様です。また、管理職のような特定の役割においては、その傾向が見られないことも重要です。男女賃金格差という複雑な社会問題を理解する上で、リスク選好度の男女差という視点は、重要な要素の一つとして認識されるべきでしょう。
参考文献
¹ Eckel, Catherine C and Philip J. Grossman(2008)“Men,Women and Risk Aversion:Experimental Evidence”,In Handbook of Experimental Economics Results, Volume 1,ed.Charles Plott and Vernon Smith, 1061-1073.New York Elsevier.
² Croson, R. and U. Gneezy (2009) “Gender Differences in Preferences”, Journal of Economic Literature 47: 448-474.
³ Sunden, Annika E.and Brian J.Surette(1998)“Gender Differences in the Allocation of Assets in Retirement Savings Plans”,American Economic Review 88‘(2):207-211.
⁴ Harshman,R. A. and A. Paivio(1987)“Paradoxical’ Sex Differences in Self-Reported Imagery”,Canadian Journal of Psychology 41:287-302.





