1991年に「桜っ子クラブさくら組」としてアイドルデビューし、グラビアアイドルや女優として活躍した井上晴美さん(50)が、現在、故郷の熊本でシングルマザーとして3人の子どもを育てながら、畑作業を通じて自給自足の生活を送っています。これまで経験した熊本地震によるパニック障害や、50歳を過ぎて直面した更年期障害といった試練にどのように向き合い、家族と共に乗り越えてきたのか、その半生と現在の心境を深く掘り下げます。
井上晴美さんが笑顔でカメラを見つめる姿
熊本地震からの再起:パニック障害との闘い
井上さんが熊本に移住したのは2011年。しかし、2016年4月に発生した熊本地震は、彼女の生活を一変させました。自宅も実家も全壊し、全てを失った喪失感から、苦しい日々が続いたといいます。特に、地震の際に台所に閉じ込められた経験が影響し、大阪に一時的に移住した際には、電車内で過呼吸になり息ができなくなるパニック障害を発症しました。電車のブレーキ音や飛行機のドアが閉まる瞬間に強い恐怖感に襲われるなど、その症状は井上さんを深く苦しめました。しかし、多くの人々に話を聞いてもらい、専門書を読み漁ることで、徐々に症状は落ち着いていったと語っています。この経験は、彼女に新たな強さをもたらしました。
50代で直面した更年期障害:症状と診断
基本的に明るい性格で元気だという井上さんですが、多忙な日々の中で健康診断をしばらく受けていなかったといいます。今年の6月、突如として激しい頭痛に襲われ、3日間も寝込む事態に。ひどいめまいと味覚障害も現れたため、病院で血液検査を受けたところ、ホルモン数値の低下が確認され、「更年期障害」と診断されました。母親も50歳前後で更年期障害を経験していたこともあり、井上さんは「私にも来た」と自身の体の変化を受け入れています。現在もめまいは続いており、起き上がった際に左右に大きく揺れる感覚があるとのこと。「命の母」という医薬品を服用することで症状の緩和を図っており、原因が分かったことで精神的には安心できたと話します。
シングルマザーとしての挑戦と家族の支え
シングルマザーとして3人の子どもを育てる井上さんにとって、体調の急変は大きな不安を伴いました。「私が倒れたら、子どもの学校の送迎もできず、生活がストップしてしまう」という切実な思いが彼女を襲いました。しかし、井上家の強みは、家族間のオープンなコミュニケーションにあります。誰かが問題を抱えると、みんなでどうすべきかを話し合う文化があるのです。兄妹がお互いを思いやり、尊重し合う一方で、井上さん自身も子どもたちに対し「それはあなたが間違っているんじゃない?」と率直に意見を伝えることもあります。「他人を変えることは難しいけれど、自分のことは変えられる」という言葉を常に子どもたちに伝え、悩みを打ち明けることの大切さと、不平不満を言うだけでなく解決策を模索する姿勢を教えています。更年期障害の診断を受けた際も、すぐに子どもたちに伝え、症状への理解を求めました。家族に話すことで、お互いに支え合い、困難を乗り越えることができると井上さんは強く信じています。
井上晴美さんの人生は、熊本地震という大災害、そしてパニック障害や更年期障害といった個人的な苦難を乗り越えてきた軌跡です。それは、失ったものがある一方で、家族の絆というかけがえのない宝物を見つけ、自給自足という新たな生き方で精神的な豊かさを手に入れた物語でもあります。彼女の経験は、私たちに困難に直面した時の向き合い方、そして家族という存在の重要性を教えてくれます。
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