東京都内でグラフィックデザイナーとして働く松本アイさん(仮名、40代)は2022年、新たな命を宿した。パートナーからのプロポーズを受け、婚約。二人の未来のために広めの新居へと引っ越した矢先、状況は暗転する。彼の親族による結婚への反対を理由に、婚約は一方的に破棄されたのだ。アイさんが里帰り出産のために新居を空けた隙に、彼は鍵を置いて姿を消し、連絡を絶った。この出来事は、予期せぬ困難の序章に過ぎなかった。
婚約破棄、そして予期せぬ悲劇:小児がんと月1万6千円の養育費
翌年、アイさんは無事に息子を出産するも、そのわずか2カ月後、元パートナーから弁護士を通じて連絡が届いた。その内容は、「養育費は月1万6千円を支払う。育児には協力しない」という一方的な通告だった。愕然とするアイさんをさらなる悲劇が襲う。息子に小児がんが見つかったのだ。致死率50%という宣告は、アイさんを絶望の淵に突き落とした。今後どうすれば良いのか、一番に相談すべき相手は行方知れず。生活費に加え、後遺症を抱える息子の闘病費用もかさむ中、健康体で働ける元パートナーが宣言した養育費は、わずか1万6千円。しかも、現在まで1円も支払われていない。
母親に絵本を読んでもらう男の子、養育費不払いに苦しむ家庭の希望
日本の養育費不払い問題:なぜ責任が問われないのか
アイさんの怒りは収まらない。「養育費を出さないのに、なぜ責任を問われないのか。この国は逃げる男に甘すぎませんか」。この問いは、多くの母子家庭が直面する日本社会の深刻な問題を浮き彫りにしている。厚生労働省の調査によると、養育費を受け取っていない母子家庭は約7割にも上る。この現状を改善すべく、政府は昨年、養育費の不払い対策を盛り込んだ法改正を行った。しかし、専門家からは「不十分」との指摘が挙がっており、実効性には依然として大きな課題が残されているのが現状だ。養育費の不払いは、単なる個人の問題に留まらず、子どもの貧困、そしてひとり親家庭の経済的・精神的負担を増大させる社会問題として認識されている。
弁護士経由で届いた養育費通知:月1万6千円と育児拒否のメッセージ
壮絶なワンオペ育児:キャリアと自己肯定感の喪失
保育園が休みの日のアイさんの朝は早い。午前7時に起床し、すぐに朝食を作り、2歳の息子に食べさせる。片付けを終え9時に仕事を始めるも、2時間ほどで昼食の準備に取り掛からなければならない。正午からのオンライン会議中も、息子はずっと泣き叫び続ける。会議を終えれば、40分かけて自転車で療育施設へ向かう。帰宅後はおやつの時間、そして15時からの会議でも、息子の号泣が響き渡る。16時には調剤薬局へ。大暴れする息子をどうにか宥め、17時から再び会議。息子の様子は言うまでもない。会議が終わると、夕食の支度に追われる。ここまでの食事はすべて息子のもので、アイさん自身は飲み物以外、何も口にしていない。息子が寝た後も家事や残りの仕事が待っており、土日を問わず深夜まで仕事に追われ、睡眠時間はほとんどない。
小児がん治療のため入院中の息子:付き添う母親の献身的な介護
アイさんは吐露する。「まったく仕事にならず、キャリアはとっくに諦めた。生きていくので精一杯」。多忙な日々の中で、自分の都合で息子を叱ってしまうこともあり、スキンシップの時間も短い。この状況に、アイさんは毎日自己嫌悪に陥っているという。風邪を引くことも許されない、過酷な「ワンオペ育児」の現実がここにある。
現実と向き合うシングルマザーの支援強化を
松本アイさんの事例は、日本の養育費不払いが引き起こす深刻な影響と、ひとり親家庭が直面する過酷な現実を鮮明に示しています。小児がんという重い病を抱える息子を一人で育てる中で、経済的、精神的、肉体的に追い詰められる状況は、個人の努力だけでは解決し得ない社会構造的な問題を示唆しています。養育費の不払い対策が強化されたとはいえ、その実効性には依然として疑問符がつき、多くの親と子どもが不安定な生活を強いられています。この問題に対し、政府や社会全体がより実効性のある法制度の構築、そしてひとり親家庭への包括的な支援体制の強化に真剣に取り組むことが、子どもたちの健全な成長と、親が安心して子育てできる社会を実現するために不可欠であると言えるでしょう。
参考文献
- 共同通信: 「養育費は月1万6千円です」小児がんの息子を看病する女性を絶望の底に突き落とした通告. 2025年8月10日.
https://news.yahoo.co.jp/articles/991fe54e62f1dd077830bc76a8e824fdc5d3a02a - 厚生労働省: 全国ひとり親世帯等調査. (参照情報として付記)