近年、日本全国でクマの出没が相次ぎ、人身被害の報告が急増しています。特に北海道では深刻な状況にあり、先月には福島町の住宅地で新聞配達員の男性がヒグマに襲われ命を落とす痛ましい事故が発生しました。この事態を受け、北海道庁は人身事故防止を目的とした「ヒグマ警報」を福島町全域に発令。これは2022年に注意報・警報制度が導入されて以来、初の事例となります。この事故の背後には、専門家も驚くべき「異例の事実」が隠されていました。酪農学園大学で野生動物生態学を専門とする佐藤喜和教授は、今回の事件を「初めて把握するケース」としながらも、その行動原理について深い洞察を示しています。
過去の事故とDNA鑑定による「同一個体」の判明
福島町で男性がヒグマに襲われたのは先月12日のことです。そのわずか6日後の18日、男性を襲った現場から約800メートル離れた住宅地で、そのヒグマはハンターによって駆除されました。さらに驚くべきは、駆除されたクマの体毛から行われたDNA型鑑定の結果です。このクマが、2021年に同町の畑で農作業中の70代女性を襲い、死亡させたクマと同一の雄の個体であることが判明したのです。
DNA型の分析で明らかになったこの「4年後の人間襲撃」という事実は、クマの専門家の間で「前例がない」と驚きの声が上がっています。佐藤喜和教授もこの事実を「初めて把握するケース」と述べ、事故発生時に現地調査を行い、DNAサンプルなどの採取と分析を継続的に積み重ねてきたことが、こうした新たな事実の発見につながったと評価しています。
クマの「人間執着」説の真偽
福島町で駆除されたヒグマが、4年の空白期間を経て住民2人を襲ったことについて、一部の専門家からは「少なくとも襲撃時には人間を狙っていたのではないか」「エサを求めて住宅地への出没を繰り返すうち、人を襲った経験を思い出した可能性がある」といった見解が示されています。しかし、佐藤教授はこれらの見解に対し、異なる視点を提供しています。
佐藤教授は、「もしクマが4年前に人を襲ったことを覚えていて人間に執着していたなら、その後も頻繁に出没していただろうし、この間にクマによる人身事故が起きていてもおかしくない」と指摘します。クマは一般的に「味を覚えた食べ物」に強く執着する傾向があり、その食べ物を獲得したり守ったりするために攻撃的になることがあります。4年間、人里に出ることもなく静かに過ごしていたクマが突然、人を襲った時の経験を思い出すというのは不自然である、というのが佐藤教授の見解です。
「ゴミへの執着」が引き起こす行動のエスカレート
それでは、なぜこのヒグマは再び人里に現れ、人を襲うに至ったのでしょうか。佐藤教授は、このクマが人間そのものを狙っていたわけではないと見ています。福島町では事故の前後、町内のごみ置き場がクマに荒らされる被害が報告されていました。
北海道砂川市で捕獲されたヒグマ。市街地でのクマの出没事例を示す
「ゴミに誘引されて夜中に出没を繰り返していたわけで、やはり、人よりもゴミに執着していたと考えていいのではないでしょうか」と佐藤教授は語ります。クマがいつ頃からゴミを荒らすようになったかは不明であるものの、おそらくどこかの段階で、単なる出没から「ゴミに餌付いたことによる出没」へと行動が段階的に進化したと推測されます。
佐藤教授は、この変化を「本来は危機的な状況と捉えるべきだったが、従来の出没と同じ扱いをしてしまった」と指摘します。結果的に、クマは人間界で容易に食べ物を得られるという「成功体験」を重ね、市街地の中心まで出てくるようになるなど、その行動はエスカレートしていったのです。
警戒心の喪失と人間の食べ物の「魅力」
福島町で駆除された際、クマは草むらからハンターや警察官がいる方へ近づき、わずか5メートルまで迫っていました。一般的にクマは警戒心が強いとされる中、なぜこのクマは人間を恐れなかったのでしょうか。
佐藤教授は、クマは最初、人間に出くわすことを嫌がり、だからこそ慎重に真夜中だけ出没していたと推測します。しかし、たまたまいい匂いのする生ゴミを見つけ、それを食べてみたら非常に美味しかった。人間界には特別な食べ物があることを学習し、生ゴミに執着して繰り返しゴミ置き場をあさるうちに、本来持っていた人間への警戒心を失っていったのではないか、と説明します。クマにとって人間の食べ物は、周りが見えなくなってしまうほど、たまらなく美味しいものなのでしょう。
今回の福島町の事例は、人里に現れるクマが、単なる「出没」から「餌付け」を経て、危険な「行動エスカレート」へと進む可能性を示唆しています。この教訓から、地域住民はゴミ管理を徹底し、野生動物との予期せぬ遭遇に備えるなど、より一層の注意と適切な対応が求められます。野生動物との共存は、彼らの行動原理を理解し、人間の生活環境を適切に管理することにかかっていると言えるでしょう。