旧日本軍「スメルトニク」の衝撃:停戦無視のゲリラ部隊が辿った悲劇的な末路

第二次世界大戦末期、日本がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏を表明した1945年8月15日以降も、ソ連軍に対する激烈なゲリラ戦を継続した旧日本軍の特殊部隊が存在しました。彼らはソ連軍から「スメルトニク」(ロシア語で決死隊を意味する)と呼ばれ、停戦命令後も攻撃を続け、最終的には肉弾戦をも辞さない徹底抗戦を展開したとされます。本記事では、彼らがどのように戦い、そしてどのような結末を迎えたのかを、当時の部隊教官であった内山二三夫大尉の証言を基に、戦史研究家アルヴィン・クックス博士のインタビュー資料や永井靖二氏の著書『満州スパイ戦秘史』(朝日新聞出版)から紐解きます。

第二次世界大戦末期、ソ連軍を恐れさせた旧日本軍のゲリラ部隊「スメルトニク」第二次世界大戦末期、ソ連軍を恐れさせた旧日本軍のゲリラ部隊「スメルトニク」

「スメルトニク」の知られざる蜂起と激戦の背景

旧日本軍の「スメルトニク」は、1945年8月14日に蜂起し、ソ連軍の幕舎や武器庫を襲撃しました。彼らは停戦を知らせる無線連絡を受け取ったにもかかわらず、兵士の殺害を含む攻撃を執拗に続けました。その戦術は極めて過激で、ソ連軍を震え上がらせるほどでした。この部隊の中心人物の一人である内山二三夫大尉は、米国の戦史研究家アルヴィン・クックス博士によるインタビューに応じており、その貴重な証言は永井靖二氏の著書『満州スパイ戦秘史』にまとめられています。この書籍は、終戦間際の日ソ戦の知られざる一面を明らかにする重要な資料となっています。

停戦命令、孤立無援の部隊への衝撃

1945年8月30日昼ごろ、「スメルトニク」を率いる内山大尉の部隊に、連隊長からの暗号無線が届きました。連隊本部が東寧から南南西へ約80キロ離れた豊焼(現在は廃線となった南満州鉄道興寧線の豊焼駅)の北東側に位置していたその時、内山大尉らはそこから南西へ十数キロの地点にいました。無線には「関東軍は大命(天皇の命令)により、停戦する。貴隊は速やかに攻撃を中止すべし」という指示が伝えられました。これに続き、9月2日までに豊焼へ集結し、武器をソ連軍に引き渡すよう命じられたのです。

この命令は、長らく外部との連絡が途絶え、ゲリラ戦を続けていた内山大尉にとってまさに青天の霹靂でした。彼は激しく激高し、「私は降伏しない」と平文で応酬。「連隊長がそう言うのなら、私の地区に来てください。全連隊をまとめて、ここなら持久戦ができる」とまで言い放ち、あくまで抗戦の意思を貫こうとしました。

浦島太郎状態からの覚醒:変転する時局と無条件降伏

しかし、連隊長は内山大尉に対し「お前たちが抗戦することは、関東軍全体、日本国家にまで迷惑を及ぼす。とにかく戦はやめて俺の命令を聞いてくれ」と、重ねて懇願しました。その晩、連隊長からの説得の手紙を携えた将校が、危険を冒して敵中をかいくぐり、内山大尉の拠点まで訪ねてきました。

手紙には「これ以上やっても無駄だ」と繰り返し説得する文面が記されていました。そして、この将校によって、内山大尉らは初めてここ半月ほどの間に起きた日本の無条件降伏の表明、満州国の崩壊、関東軍の武装解除に至る一連の出来事を知らされたのです。内山大尉は「私たちは全くここで浦島太郎のように孤立しとった」と当時を振り返っています。時局の劇的な変転を知らないままゲリラ戦を続けていたという事実を突きつけられ、彼は自らが置かれた状況の深刻さを認識しました。

「停戦」の甘い期待とシベリア強制労働への道

一晩考えた末、内山大尉は戦闘中止を決断しました。今度は彼が、戦意高揚状態にある隊員らを説得する番でした。「状況判断をして、戦をする必要があると思ったら私は帰ってくる」などと説き伏せ、8月31日の朝、負傷者を含む全隊員を連れて出発しました。密林の中を潜行し、豊焼に到着したのは9月2日の朝のことでした。

連隊長は彼らの無事の到着を涙ながらに喜び、「よく出てきてくれた。そこへ武器を置け。お前は日本へ帰るのだ」と告げました。その場にはすでにソ連軍の将校がおり、「今晩、宿舎にご案内いたします」と告げられ、暗くなるまで待たされました。日没後、豊焼から約14キロ南の金蒼(同・金蒼駅)まで連れられ、真っ暗な中を「宿舎」へ案内されました。中にはすでに、東寧一帯に布陣していた第128師団などの幹部らもいたといいます。

内山大尉は後に「楽観しておった。いわゆる『停戦』という言葉を……」と、上官や自分たちの「甘さ」を振り返っています。翌9月3日の朝、夜が明けて周りを見渡すと、そこは鉄条網で厳重に取り囲まれた建物の中でした。彼らを待っていたのは、過酷なシベリアでの強制労働という非情な現実でした。

終戦後も戦い続けた「スメルトニク」の兵士たちは、世界の流れから完全に隔絶された「浦島太郎状態」に置かれ、停戦の真の意味を理解しないまま、最終的に厳しい運命に翻弄されました。彼らの悲劇は、戦争の終結が必ずしも平和の訪れを意味しないという、歴史の厳しさを物語っています。

参考資料

  • 永井靖二 著, 『満州スパイ戦秘史』, 朝日新聞出版