日本人の朝に寄り添い続けてきた連続テレビ小説、通称「朝ドラ」。1961年からの64年もの歴史を持つこのシリーズは、毎朝15分間、登場人物たちの喜怒哀楽が凝縮され、視聴者にエネルギーを届けてきました。朝ドラに関する著書を2冊上梓し、10年にわたりレビューを続けてきた筆者が、「見なくてもわかる、読んだらもっとドラマが見たくなる」をコンセプトに、毎週月曜から金曜まで放送される「あんぱん」の最新話を深掘りします。本日は、2025年8月11日放送の「あんぱん」第96回を詳細にレビューします。
嵩の独立と「嵩さん」呼びの門出
第20週「見上げてごらん夜の星を」(演出:佐原裕貴)では、のぶ(今田美桜)と嵩(北村匠海)の関係に新たな展開がありました。ある日、長屋の中庭で、のぶは嵩の髪を切っています。生まれて初めて誰かに髪を切ってもらったという嵩は、幼い頃にも誰かが自分にしてくれたような感覚を覚えます。これは、登美子(松嶋菜々子)が別れ際に髪を切ってくれた記憶と重なるのでしょうか。もしそうだとすれば不吉な暗示にもなりかねませんが、本作では新たな門出の儀式として描かれました。
「仕事がなかったら私が嵩さんを食べさせちゃるき」――三星百貨店を辞めて独立した嵩を祝い、のぶは彼を「嵩さん」と呼ぶことを決意します。将来、彼が有名な先生になったときに呼び捨てでは失礼だという、のぶなりの配慮でした。まんざらでもない顔で「嵩さんか」と呟く嵩。しかし、スケジュールを書き込むための黒板は真っ黒で、予定は全くありません。三星勤務時代は副業が本業の給料を超えていたはずの嵩ですが、独立の現実は厳しいようです。モデルであるやなせたかしは、副業で本業の3倍を稼ぎ、それを貯めて新宿荒木町に家を購入してから百貨店を退職したと言います。この辺りの詳細は自伝『アンパンマンの遺書』に詳しいです。
今田美桜演じるのぶが北村匠海演じる嵩の髪を切る様子
薪鉄子との葛藤、辞められないのぶの秘書業務
一方、のぶは代議士・薪鉄子(戸田恵子)の秘書として、それなりの収入を得ているはずです。しかし、のぶと鉄子の考えはなかなか噛み合いません。ある日、のぶは勝手に予定を変更し、児童福祉法の改正を願う女性の嘆願を鉄子に聞かせます。その場では涙ながらに話を聞いていた鉄子ですが、女性・霧子(川俣しのぶ)が去ると態度を豹変させ、迷惑そうな表情を見せます。のぶとは対照的に、第二秘書の中山駒子(おしの沙羅)は、鉄子の涙が演技ではないかと疑いつつも、鉄子が昼食をとる時間を作るなど、如才なく立ち回ります。
この状況でのぶは、鉄子から辞めてもいいと言われながらも、「辞めたくない」と懇願します。のぶの驚くべき点は、仕事を辞められない状況にもかかわらず、鉄子の意に反して予定を変更するという無謀な行動に出ることです。相手の顔色を伺うことなく、自分の信念を貫く神経の太さが見て取れます。彼女が仕事を辞めたくないのは、経済的な理由だけでなく、何かを探しているから。しかし、肝心なその理由を鉄子には語りません。それでも辞めずに済むのは、なんだかんだ言って鉄子がいい人なのかもしれないと思わせます。困っている女性や子どもたちの面倒を直接は見られない鉄子にとって、のぶに居場所を提供することが、現時点でできるささやかな支援なのかもしれません。
嵩の漫画家活動と「メイ犬BON」の愛読者
再び嵩の状況に戻りましょう。いつものカフェで出版社の人と打ち合わせをしている嵩は、編集者が探している「代原」(落ちそうな原稿の穴を埋めるもの)として犬のキャラクターを提示します。これは、彼が高知新聞時代に行っていたことでもあります。編集者が帰ると、漫画家仲間が嵩の席に移動してきます。嵩は「独創漫画派」という集団に所属しており、そこから仕事をもらっていました。やなせたかしは、小島功、関根義一、金子泰三らと共に「独立漫画派」として活動し、銀座に事務所を構えていたと言われています。ドラマに登場するコウは小島功がモデルでしょう。
帰宅した嵩が早速『メイ犬BON』を描き始めると、残念ながら代原は必要なくなったという電話がかかってきます。『メイ犬BON』の愛読者は、今のところのぶだけ。「私この漫画好き」とのぶだけが楽しんでくれます。のぶは鉛筆削りも手伝い、すっかりかわいい奥さんのような振る舞いです。『メイ犬BON』は、愛犬家であったやなせが、犬の散歩中にその表情や心情に注目して漫画にしたものです。昭和34年(1959年)には自費出版で世に出しています。やなせは世間的に認められなくても、自分の力で表現し続けていました。果たして嵩はそこまでできるのでしょうか。今のところ、愛犬家としての側面はまだ描かれていません。
まとめ
「あんぱん」第96回では、嵩とのぶ、それぞれの「仕事」を巡る葛藤が深く描かれました。独立後の現実に直面する嵩と、信念と職務の間で板挟みになるのぶ。二人は互いに支え合いながら、それぞれの道を模索しています。やなせたかしの実際の人生と重ね合わせながら描かれる彼らの物語は、困難な時代を生き抜く人々の強さと優しさを浮き彫りにします。彼らがこの先どのような未来を切り拓いていくのか、今後の展開にますます注目が集まります。
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やなせたかし『アンパンマンの遺書』