秋篠宮家の悠仁さまの大学生活が、学園祭やサークル活動、ご学友との交流といった、多岐にわたる楽しそうな様子で報じられています。本誌も先月下旬には、夜10時頃にバドミントンのラケットを背負って「松屋」から出てこられた悠仁さまのお姿を捉えました。皇室ジャーナリストは、大学生活が学問を修めつつも「ふつう」の文化に多く触れることができる、悠仁さまにとって貴重な期間であると指摘します。それは、かつて天皇陛下や秋篠宮さまも、それぞれの大学時代を謳歌されてきたことと共通する点があります。
天皇陛下が「人生で最も楽しい」と語られた英国留学時代
現在の天皇陛下は、学習院大学ご卒業後、英国オックスフォード大学に留学されました。陛下はご自身の著書『テムズとともに 英国の二年間』の中で、このオックスフォードでの日々を「おそらく私の人生にとって最も楽しい」時期であったと表現されています。
留学生活では、パブやディスコでの貴重な経験も記されています。お世話になっていたトム・ホール大佐に注文方法やパブの雰囲気を教わり、初めてパブを訪問された陛下は、「そうはいっても、いざ注文するのには少々勇気がいる。一軒目は大丈夫であったが、二軒目ではパブのマスターから『何だこいつは』という感じの目で見られてしまった」とユーモラスに振り返られています。この日は、結局三軒ものパブを巡られたそうです。
悠仁さまがバドミントンラケットを背負い松屋から出てくる様子
また、陛下は「滞在中は、可能な限り他の学生と同じでありたい」との思いから、ジーンズなどのカジュアルな服装で街を歩かれることもあったといいます。「私と顔を合わせた日本からの観光客も最初は目を疑ったらしい。若い女性から目の前で『ウッソー!』と言われた時は、『ウッソー!』の本義を知らず、どう反応していいか迷った」と、当時のエピソードを明かされています。
しかし、時にはその服装がディスコのドレスコードに合わず、入口で入店を断られてしまった経験も。この失敗を活かし、後日改めてディスコを訪れられました。「ディスコの件は一度目は失敗に終わったが、二度目はMCR(ミドル・コモン・ルーム)の女子学生も含む男女混合のメンバーで、平日に前回とは違うディスコへ行った。生まれて初めて入るディスコのこと、内部の騒音は聞きしにまさるものと思った。フロアーは若い人々が中心で、それぞれのステップで踊っている。私もまったく自己流のステップで踊りの仲間入りをし、MCRの女子学生と向かい合って踊ったりしたので、退屈するようなこともなかった。ディスコを後にしたのは夜中の二時を回っていた。私にとって生涯最初で最後のディスコであったかも知れない」と、その思い出を詳細に綴られています。
秋篠宮さまの大学時代は「目白のスナック」で楽しまれた
一方、悠仁さまの父君であられる秋篠宮さまも、大学時代は目白にあったスナックの常連客として知られていました。当時の『FOCUS』誌の報道によると、秋篠宮さまは店内でギターを手に、ビートルズの『イエスタデイ』などを弾き語り、時には隣のテーブルの見知らぬ客にも気さくに声をかけ、「一緒に飲もう」と誘われることもあったといいます。この日のご帰宅は、当初の予定であった夜10時を大幅に過ぎ、夜11時30分頃だったと伝えられています。
まとめ
悠仁さまの大学生活は、皇室の伝統的な学びの場でありながらも、ご学友との交流やサークル活動、そして市井の飲食店でのひとときといった、「ふつう」の青春を謳歌されています。これは、かつての天皇陛下や秋篠宮さまがご経験されたように、皇族方にとっても大学という期間が、学問だけでなく多様な文化や社会に触れる貴重な機会であることを示唆しています。悠仁さまがこのかけがえのない期間を通じて、さらに豊かな経験を積まれることが期待されます。
参考文献
- 小堀馨子 (皇室ジャーナリスト) のコメント
- 天皇陛下ご著書『テムズとともに 英国の二年間』
- 『FOCUS』誌 (当時の報道)