平均標高4,000メートルを超える高地に位置し、長い間対外的に閉鎖されてきた歴史を持つ中国チベット自治区は、「天空の聖地」として神秘的なイメージが根強い。しかし今、この秘境の地が中国国内の空前の観光ブームに沸いている。荘厳な寺院群や息をのむような自然景観は、中国社会の熾烈な競争や就職難に疲弊し、癒やしを求める若者たちを強く惹きつけている。今年6月下旬、中国政府が主催するメディアツアーを通じて、大きく変貌を遂げつつあるチベットの知られざる現状を垣間見た。
チベットの現状:歴史的背景と厳格な外国人規制
チベットはインドやネパールと国境を接する中国西部の広大な自治区である。2021年の政府統計によれば人口は約360万人で、その約9割がチベット族とされている。しかし、近年の自治区外からの漢族の流入が急速に進んでおり、この統計が実態を十分に反映していないとの見方も少なくない。
歴史を振り返ると、中国共産党は1950年にチベットへ軍を進駐させ、1959年にはチベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世がインドへ亡命した。その後、1965年に中国はチベット自治区を成立させた。近年では、2008年に区都ラサで中国の統治に反発する大規模な暴動が発生したことも記憶に新しい。インド北部ダラムサラに拠点を置く亡命政府の報告によると、2009年から2022年の間に、中国の支配に対する抗議として157人のチベット人が焼身自殺を図っている。
政治的にデリケートなこの地域では、外国人の自由な移動が厳しく制限されている。現在も外国人旅行者がチベット自治区に入境するには、旅行会社を経由してパスポート情報などを当局に提出し、旅程を明記した旅行許可証を事前に取得することが必須だ。さらに、資格を持つガイドの同伴が義務付けられており、個人での自由旅行は認められていない。外国メディアの取材活動に関してはさらに厳しく、中国政府主催のメディアツアー以外での取材は事実上困難なのが現状だ。
車や通行人でにぎわうチベット自治区ラサの大通り、奥にはポタラ宮が見える
若者を惹きつける「癒やしの聖地」としてのチベット観光
チベットの象徴とも言えるラサのポタラ宮前の広場を訪れると、多くの若者で溢れていた。彼らは民族衣装のコスプレをして記念撮影を楽しんだり、スマートフォンでライブ配信を行ったりと、現代的な観光スタイルを満喫している様子が目立った。
この日、卒業旅行で貴州省から訪れていたある女性は、「ライトアップされたポタラ宮が本当にきれい」と友人と共に写真に収めていた。中国では高等教育を受けた若者でも職が見つからないという就職難が深刻な社会問題となっており、彼女も6月に大学を卒業したばかりだが、まだ職を見つけられていない。「故郷に帰ったらまた職探しだと思うと、本当にストレスが溜まる。少しでもリラックスしたい」と、癒やしを求める心情を語った。
自治区の観光客数は、コロナ禍前の2019年には年間約4,000万人だったが、昨年には約6,400万人と、約1.5倍にまで増加している。政府は観光業を基幹産業と位置づけ、ポタラ宮などの入場料免除といった施策を通じて、客足が遠のきがちな冬場の誘客を積極的に促進してきた。また、新たな観光資源の開発にも力を入れており、チベット王に嫁いだ唐の皇女を題材にした屋外ショー「文成公主」は、日没後の午後9時半からの開演にもかかわらず、4,000席がほぼ満席となるほどの人気を博している。八角街では伝統的な巡礼者の姿と並んで、欧米のファストフードチェーンの看板が見られるなど、伝統と現代文化が混在するチベットの姿が浮かび上がる。
多くの観光客や巡礼者で混雑するジョカン寺周辺
仏のポスターと毛沢東が描かれた人民元の紙幣を車内に掲げる様子
ポタラ宮前の広場で民族衣装を着て写真撮影を楽しむ人々
高台に設置された「I LOVE ラサ」の巨大サインとポタラ宮
チベット自治区ラサと東部ニンチーを結ぶ鉄道
ジョカン寺周辺の通りで五体投地で祈りをささげる男性
八角街で見かけた欧米のファストフードチェーンの看板
まとめ:変化の波に揺れるチベットの未来
「天空の聖地」チベットは、その精神的な魅力と壮大な自然で、中国の若者にとって心身の疲労を癒やす新たな観光目的地として急速にその地位を確立しつつある。政府主導の観光振興策が功を奏し、パンデミック後には過去最高の観光客数を記録するなど、経済的な恩恵も大きい。
しかし、その一方で、チベットの政治的なデリケートさは依然として存在し、外国人の厳しい移動制限やメディア取材の困難さ、そしてチベット族と漢族の間の複雑な人口構成問題は変わらず横たわっている。伝統的な信仰と現代の消費文化、政治的な制約と観光開発の推進が混在するこの地は、まさに変化の只中にあると言えるだろう。チベットが今後どのような形でその独自性と未来を築いていくのか、国際社会からの注目が続いている。