世間がお盆休みで賑わう8月14日午前、北海道知床半島にそびえる羅臼岳(標高1661m)の登山道で、痛ましいヒグマ襲撃事件が発生しました。世界自然遺産の雄大な景色を堪能していた多くの登山客で賑わう中、突如「助けて!」という悲鳴が響き渡り、東京都在住の会社員、曽田圭亮さん(26)が1頭のヒグマに襲われました。友人による必死の抵抗も虚しく、曽田さんは下半身から大量に出血しながら茂みの中へと引きずり込まれ、翌日には変わり果てた姿で発見されるという、衝撃的な展開となりました。北海道警察とハンターらが捜索にあたり、現場付近で親子とみられる3頭のクマが駆除されましたが、曽田さんを襲った個体かどうかは現在も調査中です。
懸念されていた事態の現実化:世界遺産知床での悲劇
今回の羅臼岳でのヒグマ襲撃事件について、NPO法人「南知床・ヒグマ情報センター」の藤本靖氏は、「恐れていたことがついに起きたという印象です」と語ります。知床は世界でも有数のヒグマ密集地帯として知られていますが、2005年の世界自然遺産登録以降、徹底した安全管理が功を奏し、これまでクマによる人身事故は発生していませんでした。それだけに、今回の悲劇は地域社会に大きな衝撃を与えています。
羅臼岳の山頂付近、ヒグマ襲撃事件の現場となった世界自然遺産の雄大な山々
「人慣れグマ」増加の背景と潜在的危険性
藤本氏によると、近年、一部の観光客や撮影者による安易なヒグマへの餌付けが原因で、人間とクマの距離が危険なほど近くなっていると指摘します。本来、ヒグマは人間を避けて行動する動物ですが、彼らは非常に高い学習能力を持っています。人間の食料の味を一度覚えると、「人間が美味しいエサをもたらしてくれる」と認識し、積極的に人間に近づくようになります。
今回の事件を起こしたヒグマも、どこかで人間の食べ物を口にしたことで、人間に執着するようになった可能性が高いと藤本氏は分析します。人を恐れなくなった「人慣れグマ」は、いつ人間を襲ってもおかしくない存在へと変貌してしまうのです。実際に、事件発生のわずか4日前には同じ登山道でヒグマが登山者に3〜4メートルまで接近する事例があり、12日にはクマ撃退スプレーを噴射しても数分間にわたってつきまとわれるという深刻な事態が報告されていました。藤本氏は、「本来ならこの時点で、登山道を閉鎖するなどの緊急措置をとるべきだった」と述べ、初期対応の重要性を強調しています。
自己防衛の意識と「共生」の厳しさ
知床で起きたこの恐ろしい事件は、もはや北海道のどこでも起こり得る現実だと専門家は警鐘を鳴らしています。最近では、駆除のために現場に赴いても、人間の存在を全く恐れずに逃げないヒグマも確認されているといいます。山に入る人々には、常に自分の身は自分で守るという強い意識が求められます。万が一の遭遇に備え、登山用ナイフなどの護身用具があるかないかで、生存の可能性が大きく変わる場合もあると藤本氏は語ります。これこそが、ヒグマとの「共生」が持つ偽らざる厳しさであり、人間側が向き合うべき現実なのです。
参考文献
- 週刊文春 2025年8月28日号
- NPO法人「南知床・ヒグマ情報センター」藤本靖氏への取材に基づく