「日本社会に広がる『移動格差』の実態は、私たちが想像する以上に深刻かもしれません。」国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員・講師の伊藤将人氏の新刊『移動と階級』(講談社)からの抜粋は、この問題を浮き彫りにします。特に注目すべきは、過去1年以内に居住都道府県外への旅行経験がない人の割合です。年収600万円以上の層では18.2%に留まる一方で、年収300万〜600万円未満では30.7%、そして年収300万円未満の層では実に45.6%にも達するという衝撃的な調査結果が示されています。この数値は、所得と個人の「移動の自由」がいかに密接に結びついているかを示唆しています。本稿では、この日本国内の「移動格差」から、グローバルな「観光の時代」における移動の課題へと視野を広げ、現代社会が直面する重要な論点を探ります。
年収と都道府県外旅行の経験に関する日本の移動格差を示すデータイメージ
「観光の時代」における移動の格差
「21世紀は観光の時代である」という認識は、学術界と産業界の双方で広く共有されています。現在、国境を越える国際観光客は増加の一途をたどり、観光産業は最も有望な成長分野の一つとされています。人文社会科学においても、現代社会の多面的な側面が「観光」を通して顕著に現れるとの見方があり、ジョン・アーリとヨーナス・ラースンの『観光のまなざし』、哲学者の東浩紀による『観光客の哲学』、社会学者の遠藤英樹による『ツーリズム・モビリティーズ』といった多くの研究が、観光客という概念を手がかりに現代社会を深く考察しています。資本主義、グローバル化、消費社会、そして人々の移動。これら現代社会を特徴づける要素が、観光という現象に凝縮されているのです。
実際、世界の国際観光客(宿泊客)は推定12億8600万人に上り、観光産業は世界のGDPの9〜10%を占める巨大市場を形成しています。しかし、その成長は常に平坦ではありませんでした。かつて猛威を振るった新型コロナウイルス感染症は、観光業に壊滅的な打撃を与えましたが、現在はほぼパンデミック前の水準まで回復しています。しかし、その経験は、移動と経済がいかに脆弱なバランスの上にあるかを浮き彫りにしました。
国境を越える移動者の現状と経済的影響
長期的な視点で国境を越えて移動する移民や難民に目を向けると、さらなる格差の側面が見えてきます。国際移住者は推定2億8100万人、そして紛争、暴力、災害などを理由に故郷を追われた国内避難民の数は1億1700万人にも達しています。これらの移動者の経済活動は、世界全体のGDPの約1割に相当するとされており、これはアメリカや中国といった大国の経済規模に次ぐ影響力を持つことを意味します。つまり、人々の「移動」そのものが、現代世界において大国に匹敵するほどの経済的影響力を持っているのです。
このような状況を鑑みると、国境を越える移動者をめぐる経済的、社会的な格差を深く考察し、その実態を明らかにすることの意義は計り知れません。日本国内の所得に基づく移動格差から、世界規模の観光、移民、難民の問題まで、人々の「移動」の背後にある多層的な格差構造を理解することは、持続可能な社会を築く上で不可欠な課題と言えるでしょう。
まとめ
日本国内における所得と旅行経験の関連性から示される「移動格差」は、私たちの社会が抱える重要な問題です。さらに視野を広げれば、「観光の時代」と呼ばれる現代において、国際観光客の増加、移民・難民の移動といった地球規模の現象が、世界の経済や社会に大きな影響を与えています。これらの移動の背景には常に格差が存在し、その実態を深く理解し、解決策を模索することは、日本にとっても、そして世界にとっても喫緊の課題です。
参考文献
- 伊藤将人. (2023). 『移動と階級』. 講談社.
- 遠藤英樹. (2017). 『ツーリズム・モビリティーズ』. 世界思想社.
- 東浩紀. (2007). 『観光客の哲学』. 講談社.
- Urry, J., & Larsen, J. (2011). The Tourist Gaze (3rd ed.). SAGE Publications.