ウクライナ最高会議元議長アンドリー・パルビー氏、リビウで「計画的襲撃」により死亡

ウクライナのキーウから届いた衝撃的なニュースです。ウクライナ最高会議(国会)の元議長であるアンドリー・パルビー氏が30日、西部リビウで「綿密に計画された」襲撃を受け、54歳でその生涯を閉じました。事件の実行犯は現在も逃走中で、警察は徹底的に準備された犯行であるとの見方を示しています。

ウクライナ元議長パルビー氏、リビウで「綿密な計画的襲撃」により死亡

警察の発表によると、パルビー氏は銃身の短い銃で複数回撃たれました。犯行現場には医療関係者が到着する前に、すでに息を引き取っていたと、リビウ州軍政トップのマクシム・コジツキー氏が明かしています。この衝撃的な事件に対し、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、パルビー氏の殺害を「綿密に計画された」ものと断定し、自身のSNSで「恐ろしい殺人事件」と形容し、深い哀悼の意を表しました。

事件現場では、ロイター通信の映像が鑑識員や警察官が対応に当たる様子を捉えており、地面に横たわるパルビー氏の遺体と、その右手のそばに落ちた眼鏡やバッグが確認できます。この事件は、ウクライナの政界に大きな衝撃を与えています。

ウクライナ最高会議元議長アンドリー・パルビー氏。リビウでの襲撃により死去。ウクライナ最高会議元議長アンドリー・パルビー氏。リビウでの襲撃により死去。

国際社会からの深い哀悼と、パルビー氏の政治的足跡

アンドリー・パルビー氏の突然の死に対し、国際社会からも深い哀悼の意が寄せられています。欧州議会のロベルタ・メツォラ議長は「恐ろしい殺人に深く衝撃を受けた」と述べ、パルビー氏の遺族とウクライナ国民への連帯を表明しました。また、エストニアやポーランドを含む欧州各国の当局者も、相次いで追悼の意を示しています。

パルビー氏はソ連崩壊間際の1990年からウクライナの政界で活動を始めました。1991年にはウクライナ社会民族党を共同で結成した後、同党を離党。その後、2007年から亡くなるまで国会議員を務め、ウクライナの民主化と主権確立に向けた歴史的変革において重要な役割を担いました。2004年の「オレンジ革命」では、不正選挙に対する大規模な平和的デモに参加し、民主化運動の先頭に立ちました。さらに、2013年11月に始まった「マイダン革命」でも中心的な役割を果たしています。これは、当時のヤヌコビッチ大統領が欧州連合(EU)との通商協定署名を拒否し、ロシアとの関係強化を選択したことに国民が反発して起きたもので、ウクライナの親欧米路線を決定づける大きな転換点となりました。

結論

ウクライナ最高会議元議長アンドリー・パルビー氏の「綿密に計画された」襲撃による死亡は、ウクライナ国内だけでなく、国際社会にも深い衝撃と悲しみをもたらしました。彼の死は、ウクライナの歴史において極めて重要な時期に、民主化と国家主権の確立に尽力した人物が失われたことを意味します。この事件は現在も捜査が続いており、犯人の特定と逮捕が強く求められています。ウクライナと国際社会は、この「恐ろしい殺人事件」の真相究明と、正義の実現を固く誓っています。

参考文献