量子力学が拓く未来：見えない世界の謎から社会変革への道

1925年にヴェルナー・ハイゼンベルクによって確立されたとされる「量子力学」は、レーザー、パソコン、スマートフォンといった現代社会を支える無数のテクノロジーの基盤となっています。しかし、その難解さや日常の常識とかけ離れた理論から、「私たちの生活とは無縁のSFの世界」と捉える人も少なくありません。

ところが今、量子コンピューターの実用化に向けた研究が加速し、量子技術は社会のあり方をこれまで以上に大きく変革しようとしています。各国がこの分野で国家戦略を策定し、研究開発への投資を活発化させる中、日本も「量子未来産業創出戦略」（2023年策定）で、2030年までに国内の量子技術利用者を1000万人、関連製品の生産額を50兆円規模にすることを目標に掲げています。高市早苗首相も所信表明演説でAIや半導体とともに「量子」を戦略分野と位置付け、大胆な投資促進を明言するなど、この産業は急成長が期待されています。

本稿では、産業としても大きな注目を集める量子技術が一体どのようなもので、実社会とどのように関わり、これから私たちの世界をどう変えていくのかを深掘りします。

量子力学とは？ミクロな世界が織りなす「非日常」

量子力学は、具体的には1000万分の1ミリメートル以下のサイズ、すなわちミクロな世界の現象を取り扱う物理学です。19世紀末頃、物理学者たちはこの極めて小さな世界で、従来の古典力学では説明できない不可思議な現象が起こることに直面し、その解明のために苦心して量子力学を創り出しました。しかし、約100年が経った今もなお、私たちは日常においては直感的で理解しやすい古典力学の法則を基準として生きており、電子や光子といったミクロな粒子の振る舞いは依然として謎に満ちています。

一般社団法人日本物理学会会長特任補佐で東京理科大学教授の山本貴博氏は、「量子力学の世界に触れるには、まず従来の常識を捨ててほしい」と語ります。私たちの人間は、目の前で起こる現象を自身の経験や培われた知識・感覚で理解しようとしますが、目に見えないほどミクロな世界は誰も経験したことがないため、理解が難しいのです。

量子力学の概念図

「重ね合わせ状態」の不可思議：観測が変える現実

ミクロな世界で起こる不可思議な現象の中でも、特に理解しがたいのが、一つの物体が同時に複数の場所に存在する「重ね合わせ状態（状態の共存）」です。山本教授の解説を参考に、その概念を見てみましょう。

例えば、中が見えない箱に電子が一つ入っており、その内部をついたてで仕切ったとします。もしこれがテニスボールであれば、「ボールはついたての左側か右側どちらか一方に存在する」というのが私たちの常識です。しかし、ミクロサイズの電子は「同時に左右どちらにも存在する」状態にあるのです。そして、箱の蓋を開けて電子が左側にあることを確認した場合、それはもともと電子が左側にあったのではなく、「観測するまでは左右どちらにも存在していた電子が、観測した瞬間に左側にある状態に変化した」のだといいます。このような常識に反する考え方でなければ説明できないミクロな現象が、現実には数多く起こっているのです。

この不可解な「重ね合わせ状態」に関して、量子力学の標準的な解釈とされる「コペンハーゲン解釈」では、空間に広がった「波」として存在していた電子が、観測した瞬間に収縮して「粒子」として姿を現した（波と粒子の二重性）と説明されています。一方、電子が左側にある場合と右側にある場合で別々の世界が生まれるとする「多世界解釈」も一定の支持を得ています。宇宙誕生直後から世界が枝分かれし、無数の並行世界（パラレルワールド）を生み出し続けてきたとするこの解釈は、SF作品の空想ではなく、ミクロな世界の不可解な現象を論理的に説明するために導き出された一つの学説として議論されています。

量子技術が牽引する新たな社会変革と日本の戦略

このように、量子力学が基礎をなす量子技術は、今や学術的な探求だけでなく、社会と産業に具体的な変革をもたらす段階に入っています。量子コンピューターの実用化研究の加速は、医薬品開発、新素材開発、金融モデリングなど、従来のコンピューターでは解決困難だった問題への新たなアプローチを可能にすると期待されています。

日本政府も、この波に乗り遅れるまいと、2023年に「量子未来産業創出戦略」を策定し、量子技術への大胆な投資を推進しています。2030年までに量子技術の国内利用者を1000万人に拡大し、関連製品の生産額を50兆円規模にすることを目指すこの戦略は、日本の産業競争力を高め、新たな経済成長の原動力とするための重要な一歩です。高市早苗首相がAIや半導体と並んで「量子」を戦略分野と位置付けたことからも、この技術が国家レベルでいかに重視されているかが伺えます。

結論

量子力学は、私たちの日常的な感覚を超越したミクロな世界の深遠な謎を解き明かす学問であると同時に、量子コンピューターをはじめとする量子技術を通じて、社会全体に計り知れない変革をもたらす可能性を秘めています。その難解さゆえに一般には縁遠いものと見られがちですが、日本の国家戦略が示すように、もはやSFの世界の話ではなく、私たちの未来を形作る現実の力となりつつあります。この見えない世界の探求が、いかにして私たちの社会を豊かにし、新たな地平を切り開いていくのか、今後の動向から目が離せません。

参考文献