やなせたかしとサンリオの知られざる絆:雑誌『詩とメルヘン』が築いた関係

NHK連続テレビ小説「あんぱん」では、国民的キャラクター「アンパンマン」の生みの親であるやなせたかし氏の、キティちゃんで知られるサンリオとの不思議なつながりが取り上げられ、話題となっています。ドラマでは、やなせたかし氏が初の詩集をサンリオから出版し、成功を収めるまでが描かれましたが、両者の関係は単なる詩集の出版に留まりませんでした。

NHK朝ドラ「あんぱん」で描かれたやなせたかし氏とサンリオの関係NHK朝ドラ「あんぱん」で描かれたやなせたかし氏とサンリオの関係

ライフワークとしての『詩とメルヘン』の誕生

その後、サンリオは、やなせたかし氏が編集長を務める雑誌『詩とメルヘン』を創刊します。この雑誌は、アンパンマンと並ぶ、やなせたかし氏の生涯の仕事(ライフワーク)となっただけでなく、今日の巨大企業サンリオが飛躍する源流の一つとも考えられています。その詳細は、柳瀬博一氏の著書『アンパンマンと日本人』(新潮新書)で語られています。

やなせたかし編集長が手掛けたサンリオ初の雑誌「詩とメルヘン」表紙イメージやなせたかし編集長が手掛けたサンリオ初の雑誌「詩とメルヘン」表紙イメージ

やなせたかし編集長の情熱と献身

サンリオで『詩とメルヘン』の編集長に就任した際、やなせたかし氏は、その内容を自身のライフワークと捉え、良い意味でこだわりを貫き、ビジネス面での利益は二の次と考えていました。1973年4月に創刊された『詩とメルヘン』は、サンリオにとって初の雑誌事業でした。当時、やなせたかし氏は、深く愛していた抒情画とメルヘンを専門とする「投稿誌」「オーディションマガジン」形式の雑誌創刊を発案します。

時代への挑戦と信念

当時、メルヘンや抒情画は「甘ったるい」「子供騙し」「少女趣味」と見なされ、プロの漫画家、詩人、出版関係者、評論家といった業界の専門家たちからは軽視されていました。1950年代から60年代には、好きな表現が貶められ落ち込むこともありましたが、50歳を超えた1970年代には開き直り、「好きなことをやろう。抒情的な詩やメルヘン、絵を存分に掲載した雑誌を作ろう」と決意します。

予算の壁と無償の覚悟

しかし、『愛する歌』の時とは異なり、今回の『詩とメルヘン』は予算がほとんどない状況でした。販売経路も未定で、売れるかどうかも不透明。それでも、当時のサンリオ社長である辻信太郎氏は出版を後押ししました。やなせたかし氏は「この本は自分の道楽だから社に迷惑はかけられない。無償でやる」(『人生なんて夢だけど』フレーベル館 2005年)と啖呵を切り、その情熱と責任感が『詩とメルヘン』を成功させ、サンリオ発展の礎となったのです。

結び

やなせたかし氏とサンリオの協力は、詩集『愛する歌』から始まり、雑誌『詩とメルヘン』へと発展しました。やなせ氏の情熱と「ライフワーク」としての献身は、当時軽視された抒情的な世界を世に送り出し、サンリオの成長に大きく貢献。これは、文化とビジネスが稀有な形で融合した事例として、今なお語り継がれるべきでしょう。

参考文献

  • 柳瀬博一『アンパンマンと日本人』新潮新書
  • やなせたかし『人生なんて夢だけど』フレーベル館