インターネット上には、時にユーザーに精神的な衝撃を与えかねない「検索してはいけない言葉」というミームが存在します。これは映画、漫画、あるいは実際の事件など、多岐にわたる内容を含み、その奥深さから多くの人々の好奇心を刺激してきました。本稿では、この「検索してはいけない言葉」として語られることの多い作品群の中から、特に印象的な海外映画の一つである『ジョニーは戦場へ行った』に焦点を当て、その内容が内包する戦争の真の恐怖と、観る者に与える深いトラウマについて詳細に掘り下げていきます。
反戦映画の金字塔『ジョニーは戦場へ行った』概要
1971年に公開された映画『ジョニーは戦場へ行った』は、ダルトン・トランボが監督を務め、ティモシー・ボトムズが主演を演じました。第一次世界大戦に出征した青年ジョーが、敵の砲弾により顔の全ての感覚器官と四肢を失い、かろうじて意識だけが残された状態で病院に収容されるという、想像を絶する状況を描いた作品です。意思疎通が不可能となり苦悩するジョーが、やがてモールス信号で看護師と交信を試み、自由や安楽死を求める姿は、観る者の心に深い絶望と問いを投げかけます。
この作品は、「ハリウッド・テン」の一員として知られるダルトン・トランボが唯一監督した映画であり、彼が1939年に発表し発禁処分を受けた小説『ジョニーは銃をとった』(原題: Johnny Got His Gun)が原作となっています。当時、そのあまりにも生々しい反戦のメッセージゆえに物議を醸したこの小説は、映画化によってさらに強烈な形でそのメッセージを世界に届けました。
「検索してはいけない言葉」で語られる反戦映画の傑作『ジョニーは戦場へ行った』のポスターイメージ
戦争が生み出した「生ける屍」:ジョーの絶望的な現実
『西部戦線異状なし』(1930)や『プライベート・ライアン』(1998)といった多くの反戦映画が戦場の悲惨さを直接的に描く一方で、『ジョニーは戦場へ行った』は、それらとは一線を画す「身につまされる」恐怖を提示します。主人公ジョーは、爆撃により目、鼻、口、耳、そして四肢を全て失い、顔には白い布が被せられたまま、ベッドの上で「生ける屍」として15年もの歳月を過ごすことになります。
意識は鮮明に保たれているにもかかわらず、自身の存在を他者に伝える手段を一切持たないジョー。鎮静剤によってカラフルな記憶の世界と、暗闇に包まれたモノクロの現実を何度も行き来する彼の苦しみは、筆舌に尽くしがたいものです。首と頭をわずかに動かすことしかできない彼が、自身の意識の存在すら周囲に伝えられない状況は、まさに生きながらにして地獄を味わうことに他なりません。軍の医師団が、彼が発する微かな動きからモールス信号を読み取った時、ジョーの唯一の願いは「殺してくれ」という安楽死の懇願でした。肉体が完全に失われ、外界との接点を絶たれた状態で、意識だけが永遠に続く苦痛に苛まれるというこの状況は、死そのものよりも恐ろしい精神的拷問と言えるでしょう。
橋本忍も絶句した「見せつけられる恐怖」
黒澤明作品の脚本で知られる日本の映画監督・脚本家である橋本忍は、本作について次のような強烈な感想を寄せています。「この映画については何も話したくないし、何も喋りたくない。ただ一人でも、一人でも多くの人に見てもらいたい」。この言葉は、『ジョニーは戦場へ行った』が観る者に与える心理的な衝撃の深さを如実に物語っています。言葉を失うほどの恐怖と絶望、そして戦争が人間の尊厳をいかに深く踏みにじるかを、本作は痛烈に訴えかけます。
一人の兵士の身体の中で永遠に続く戦争、外界から完全に隔絶され、思考だけが自由に、しかし絶望的に彷徨い続ける地獄は、物理的な破壊以上に深い「精神的ダメージ」を伴います。これが、『ジョニーは戦場へ行った』が「検索してはいけない言葉」として語り継がれる所以であり、またその価値を確立している理由です。戦争の残虐性を描く上で、これほどまでに内面的な恐怖と絶望を浮き彫りにした作品は稀であり、平和の尊さを深く考えさせる傑作として、今もなお多くの人々に衝撃を与え続けています。
参考文献:
- Yahoo!ニュース: 『ジョニーは戦場へ行った』【Getty Images】 (2025年9月5日公開)