湯布院の旅館「玉の湯」で輝くネパール人仲居:インバウンド時代の「おもてなし」とは

近年、インバウンド観光客の増加に伴うマナー問題がたびたび議論されています。日本有数の温泉地として知られる大分県湯布院では、この状況にどのように対応しているのでしょうか。本記事では、ノンフィクション作家・野地秩嘉氏が探る、湯布院の高級旅館「玉の湯」で働くネパール人仲居、ガレ・マンカラさん(通称カラさん)の「おもてなし」を通じて、現代の旅館業が直面する課題と外国人材の可能性に迫ります。彼女の故郷への思いと、湯布院での役割は、日本の観光業に新たな光を投げかけています。

故郷の山に導かれて湯布院へ:ガレ・マンカラさんの物語

ガレ・マンカラさんは1997年にネパール北部ゴルカで生まれ、20歳で日本に渡りました。現在は湯布院の老舗旅館「玉の湯」で、仲居としてお客様をもてなす傍ら、新人社員の教育係も務めています。福岡の日本語学校を卒業後、就職面接で初めて湯布院を訪れた際、彼女は山々に囲まれたその景色、特に故郷の山々に似た由布岳を見て「ふるさとに似ていて心が嬉しかった」と語ります。この地で働くことを強く決意した背景には、故郷ゴルカの雄大な自然がありました。彼女の実家からは世界で8番目に高い「精霊の山」マナスル(標高8163メートル)が眺められ、1956年に日本隊が初登頂した歴史を持つこの山は、カラさんにとって特別な存在です。

由布岳(標高1583メートル)を「自分にとっての精霊の山」と見なすカラさん。マナスルが自分を守ってくれたように、由布岳もまた自分を守ってくれていると信じ、湯布院での暮らしと旅館のサービス、そして新人教育に情熱を注いでいます。彼女のこの深い郷土愛と仕事への献身は、玉の湯の「おもてなし」の質を高める重要な要素となっています。

湯布院の高級旅館「玉の湯」で働くネパール人仲居、ガレ・マンカラさん(カラさん)が笑顔でゲストを迎える様子。外国人材が支える日本のおもてなし湯布院の高級旅館「玉の湯」で働くネパール人仲居、ガレ・マンカラさん(カラさん)が笑顔でゲストを迎える様子。外国人材が支える日本のおもてなし

インバウンド増加の湯布院で「玉の湯」が守る品質

玉の湯の社長、桑野和泉氏は、湯布院におけるインバウンド客の増加を認めつつも、その実情は一様ではないと指摘します。人口約1万人の湯布院には年間430万人の観光客が訪れ、そのうち外国人は145万人を占めます。しかし、旅館によってインバウンド客の比率は大きく異なり、玉の湯では全体の約5%に過ぎませんが、他の旅館では7~8割に達するところもあります。湯布院を訪れる外国人観光客は韓国、台湾からの旅行者が多く、ソウルから福岡への飛行時間はわずか1時間半と短く、福岡から湯布院も1時間強とアクセスが良いことがその理由です。

湯布院は、先代社長である溝口薫平氏がドイツのバーデンヴァイラーを手本に、大型旅館の集積地ではない、日本型の温泉保養地を目指して発展しました。1959年には国民保健温泉地第一号に指定され、その中でも玉の湯は亀の井別荘、山荘無量塔と並ぶ一流の温泉旅館として知られています。

外国人観光客の増加に伴い、湯布院で働く海外の人々も増えています。玉の湯でもカラさんが3人目の外国人社員であり、大分に立命館アジア太平洋大学(APU)があるため、多くの留学生が観光業界で活躍しています。桑野社長はカラさんの優れた点として、「相手がお客様でも誰でも、わからないことを質問すること」を挙げます。この率直さと学びの姿勢が、質の高い「おもてなし」を提供し続ける玉の湯の文化を支えているのです。

結びに

ネパール人仲居、ガレ・マンカラさんの物語は、日本の観光業における外国人材の重要性と、異文化理解を通じた「おもてなし」の深化を示しています。彼女が故郷の山々と重ね合わせた由布岳への思いは、単なる労働を超えた、地域への深い愛着を生み出し、そのことがお客様への真摯なサービスに繋がっています。湯布院全体でインバウンド客が増加する中、玉の湯が守り続ける高品質な「おもてなし」は、カラさんのような多様な背景を持つ人材によって、さらに豊かになっていくことでしょう。これは、日本の観光業界がグローバル化する中で、どのように伝統と革新を融合させていくべきかという問いに対する一つの模範的な回答と言えます。

参考資料

  • 野地秩嘉. 「湯布院の旅館「玉の湯」で働くネパール人仲居のおもてなし」. PRESIDENT Online, 掲載日不明. (参照元記事)