コンビニエンスストアで120円程度で販売されているコーヒーと、ホテルのラウンジで1杯1000円で提供されるコーヒー。この価格差は、単に豆の品質やブランド力だけでなく、顧客の「原価」に対する認識、そして企業の経営戦略における「固定費」と「変動費」の捉え方の違いに深く根ざしています。マネジメント能力開発研究所代表の千賀秀信氏によれば、コンビニとホテルでは顧客の原価への見方が異なり、コンビニが固定費削減で低価格競争をする一方、ホテルは固定費を巧みに活用して差別化を図っているといいます。本記事では、この価格の謎を管理会計の視点から解き明かし、それぞれの経営戦略の背景を探ります。
コーヒーの「原価」とは何か?財務会計と管理会計の視点
多くの消費者は、コーヒーの「原価」と聞くと、まずコーヒー豆の費用を思い浮かべます。実際、コーヒーの材料費を原価と捉える傾向が強く、変動費の概念に近い考え方をしていると言えるでしょう。しかし、原価計算の知識がある人は、焙煎マシーンの減価償却費、人件費、家賃といった要素も考慮に入れます。
財務会計では、原価を「材料費」「労務費」「経費」の3要素で構成される「製品原価」として把握します。一方、管理会計では、原価を主に「変動費」として捉えます。変動費とは、販売量に応じて変化する費用であり、材料費はその典型です。
変動費と固定費、そして限界利益
- 変動費: 販売量の増減に比例して発生する費用(例:原材料費)。
- 固定費: 販売量に関わらず、一定額が発生する費用(例:人件費、家賃、設備の減価償却費)。
管理会計では、売上高から変動費を差し引いたものを「限界利益」と呼びます。限界利益は製品が持つ「付加価値」の本質を表すものです。例えば、変動費比率が10%の製品であれば、残りの90%が限界利益率(付加価値率)となります。
- 限界利益 = 売上高 – 変動費
- 売上総利益 = 売上高 – 製品原価
このように、一口に「原価」と言っても、財務会計と管理会計ではその捉え方が異なり、経営戦略に大きな影響を与えます。
低価格戦略の「落とし穴」:コンビニコーヒーの事例
コンビニエンスストアが提供する120円のコーヒーは、多くの顧客にとって手軽で魅力的な選択肢です。しかし、この低価格戦略には特有の「落とし穴」が存在します。顧客は「90%もの粗利があるのだから、とても儲かっているはずだ」と認識しがちです。
落ち着いた空間で提供されるコーヒーのイメージ
このような顧客心理を背景に、もしコーヒーの味が少しでも劣ったり、店の雰囲気が悪かったり、店員の態度が不親切だったりすれば、顧客は容易に他の店へと流れてしまいます。このような顧客離反のリスクは、低価格競争のために固定費を削減する経営戦略に起因することが少なくありません。固定費の削減は、人件費の抑制や設備投資の最小化を意味し、結果としてサービス品質や顧客体験の低下を招きやすいのです。低い限界利益率で競争するコンビニの低価格戦略は、顧客の期待に応えられなければ、そのメリットが簡単に失われるという構造を持っています。
ホテルコーヒーが高価格でも売れる理由:付加価値と差別化
一方で、ホテルのラウンジでは、コーヒーが1杯1000円という高価格帯であっても、多くの顧客に選ばれています。これはなぜでしょうか。ホテルは、単にコーヒーという「商品」を提供しているのではなく、その空間、雰囲気、サービス、そして滞在する「体験」全体を「付加価値」として提供しています。
ホテルが投じる高額な固定費(上質な内装、訓練されたスタッフの人件費、立地の良さなど)は、コンビニのように削減の対象となるのではなく、むしろ「差別化」のための重要な投資と捉えられます。これらの固定費が、顧客にとって特別な時間や場所を提供する基盤となり、高価格であってもその価値を享受したいという顧客の心理に応えているのです。顧客は、コーヒーそのものの原価だけでなく、その場所で得られる快適さやステータス、サービス全体に対して対価を支払っていると言えるでしょう。
まとめ:価格の裏にある経営哲学
コンビニのコーヒーとホテルのコーヒーの価格差は、単なる商品の違いにとどまらず、それぞれのビジネスモデルと経営哲学を映し出しています。コンビニは変動費を意識した低価格戦略で大量販売を目指し、ホテルは固定費を投資と捉えて高い付加価値と差別化を図ることで高価格を実現しています。
この違いを理解することは、消費者として賢く選択するためだけでなく、企業がどのような顧客体験を提供し、いかにして競争優位性を確立するかを考える上で極めて重要です。千賀秀信氏の指摘するように、顧客が原価に対してどのような見方をするかを認識し、それに応じた価格設定と経営戦略を立てることが、今日の市場で成功するための鍵となるでしょう。
参考文献
- 千賀秀信. 『[ポイント図解]管理会計の基本が面白いほどわかる本』KADOKAWA.



