9日、東京都文京区の無量山傳通院で、肺炎のため82歳で逝去された歌手・橋幸夫さん(本名:幸男)の通夜が執り行われました。葬儀委員長を務めた夢グループの石田重廣社長は、橋さんのアルツハイマー型認知症公表に至るまでの感動的なやり取りや、最後のステージでの力強いメッセージを明かし、参列者の心を揺さぶりました。
肺炎で亡くなった歌手、橋幸夫さんの通夜で公開された遺影
認知症公表の舞台裏:社長との深い絆
石田社長は、橋さんが今年5月にアルツハイマー型認知症であることを公表するに至った経緯を詳細に語りました。大阪での公演中、歌も話も思うようにできなくなった橋さんが、夜の部に石田社長の元へ来て立ち上がり、「社長、俺、人に迷惑かけてるのかなあ。俺、そんな迷惑かけてるならば、しばらく休みたい」と、つらい表情で胸の内を明かしたといいます。
その時、石田社長は「休まさないよ」「橋さんは死ぬまで歌を歌って頑張るって言ったじゃないか。休みっていうのは絶対にさせない」と、力強く橋さんを励ましました。橋さんは社長の顔を見てにこやかに「ありがとう、社長」と返答。この言葉に石田社長は感銘を受け、公表を決断し、すぐに多くのマスコミに発表しました。
公表翌日には、橋さんから「社長、なんか昨日俺と社長、いっぱいテレビに出てるんだけどね」という言葉があったといい、石田社長が「橋さん、ごめんね。自分、発表しちゃったんだ」と謝罪すると、橋さんは「いいよ、俺一生懸命歌うから大丈夫だよ」と、最後まで前向きな姿勢を示したエピソードが披露されました。
最後のステージ:車椅子から立ち上がった「百戦錬磨」の魂
石田社長は、橋さんの生前最後のステージとなった6月の滋賀公演についても回想しました。この公演では、「お米の新米を販売しよう」という企画があり、石巻の農家から送られた600キロの新米を、橋さんと石田社長の2人でロビーに出て販売しました。
石田社長は、この時すでに体力が衰え、橋さんが車椅子から立ち上がったり、話したりすることは難しいだろうと考えていたといいます。しかし、その予想を裏切り、橋さんは突然立ち上がりました。そして、「命ある限り、パワーを持って、百戦錬磨で頑張るんだ」「皆さん、応援してるよ」と、自身の信念とファンへの感謝を力強く語ったのです。
この感動的な瞬間は、多くの人々の心に深く刻まれ、橋さんが歌手として最後まで見せた不屈の精神と、舞台への情熱を象徴する出来事となりました。
橋幸夫さんが残した「歌と感謝」の遺志
歌手・橋幸夫さんの82年の生涯は、肺炎やアルツハイマー型認知症という病との闘いがありながらも、最後まで歌とファンを深く愛し続けた「百戦錬磨」の精神に満ちていました。夢グループの石田社長が明かした秘話は、彼の人間性、アーティストとしての誇り、そして周囲との深い絆を改めて浮き彫りにしました。その歌声と、どんな困難にも立ち向かう生き様は、多くの人々の記憶に深く刻まれ、語り継がれていくことでしょう。