口唇口蓋裂とその合併症を抱えて生まれた小林えみかさん(31)は、鼻、唇、耳の一部が欠損し、心臓には三つの穴が開いた状態で生を受けました。これまでに20回以上の手術を経験し、現在は口唇口蓋裂の当事者やその家族を支援するNPO法人の代表として活動しています。日本では500人に1人が口唇口蓋裂の患者であると言われていますが、社会にはいまだ差別や偏見が存在します。この記事では、小林さんが経験した困難、それを乗り越えた過程、そして現在の活動とその背景にある思いに迫ります。
誕生時の衝撃と困難な道のり
小林さんの口唇口蓋裂が判明したのは、誕生の瞬間でした。母親は分娩室の華やかなムードの中で最後にいきんだものの、小林さんが生まれた途端、分娩室は静まり返ったといいます。主治医が母親に「赤ちゃんの口が割れています」と告げた際、元歯科衛生士であった母親は口唇口蓋裂の手術に立ち会った経験から「それなら大丈夫」と一瞬安心したそうです。しかし、続けて「耳もありません」と告げられ、初めて衝撃を受け「手足はありますか?」と尋ねたといいます。さらに、心臓に三つの穴が開いていることも判明し、「この子、生きられますか?」という問いに対し、主治医は「今のところはね」と答えたそうです。
0歳時の小林えみかさん
小林さんは生後3カ月で、心臓の穴が開いたまま唇を閉じる最初の手術を受けました。この手術によって唇が形成され、鼻の輪郭と機能も整ったといいます。心臓の穴は小さかったため、2歳になる前に自然に閉鎖しました。彼女が生まれてきた時の写真を初めて見たのは高校生の頃で、「自分はこの顔で生まれてきたんだ」という事実に大きなショックを受け、診察室からトイレに駆け込み嘔吐してしまったと振り返ります。
また、小林さんは4歳の頃から補聴器なしでは日常生活を送ることができません。補聴器を初めて装着した時の衝撃を「世界が180度変わったような衝撃で、瞬時に『うるさっ!』ってなった」と語っています。それまでは「水の中で聞いているような、くぐもった音」しか聞こえていなかったそうです。
思春期の苦悩と転機
これまで21回にわたる手術と治療を経験した小林さんは、思春期に「何をやっても全部、口唇口蓋裂のせいでうまくいかない」と感じ、深く苦しんだことを「自分の病むポイント」として語ります。中学2年生の時には不登校になり、リストカットでその苦しさを発散する日々を送ったといいます。
しかし、通信制高校に進学したことが彼女にとっての転機となりました。少年院を経験した子など、さまざまな境遇の子どもたちとの出会いが彼女を救いました。友人たちは小林さんの口唇口蓋裂の手術を「美容整形」のような感覚で捉え、「もともとかわいかったけど、もっとよくなったね」と声をかけてくれたそうです。この経験を通じて、「病気って、重たい感じで話さなきゃいけないのかなって勝手に思ってたんで、そこから話がしやすくなって」と、小林さんは語っています。
支援活動への思いと自己受容
現在の小林さんは、「自分の姿を通して誰かが一歩踏み出せるきっかけになれたらいい」という強い思いを胸に活動しています。彼女は、口唇口蓋裂当事者の家族を支援するNPO法人の代表として、病気への理解を深め、偏見をなくすための啓発活動にも力を入れています。
そして、「”ポジティブでいたい”と願うネガティブな自分を丸ごと受け止めていきたい」と語るように、自己受容の大切さをメッセージとして発信し続けています。彼女の言葉と活動は、同じような困難を抱える人々にとって、大きな希望と勇気を与えています。
小林えみかさんの人生は、口唇口蓋裂という先天的な特性と共に生きる困難と、それを乗り越え、他者を支える力に変えていく姿を私たちに示しています。彼女の活動を通じて、口唇口蓋裂に対する社会の理解が深まり、より多くの人々が自分らしく生きられるような温かい社会が築かれることが期待されます。




