2025年9月16日、「血液のがん」と称される悪性リンパ腫との壮絶な闘病の末、医大生の齊藤樺嵯斗さん(享年24)が静かに息を引き取った。生前、齊藤さんは自身のX(旧Twitter)アカウントなどを通じて闘病の様子を発信し、その前向きな姿勢は多くの人々に勇気を与えた。同時に、重篤な病を患う患者として、高額療養費制度の堅持とその重要性を社会に強く訴え続けてきた。彼の死は、難病と向き合う個人や家族が直面する精神的、そして経済的な負担という現実を改めて浮き彫りにしている。本稿では、樺嵯斗さんの両親が語る、闘病生活における家族のリアルな「お金事情」と、彼が遺したメッセージの重みを探る。
「血液のがん」との壮絶な闘いと、社会への訴え
齊藤樺嵯斗さんは、2023年5月に悪性リンパ腫の診断を受け、約2年間にわたる治療生活を送った。その間、一時的に大学に復帰するなど、病と闘いながらも学業への意欲を失うことはなかった。XなどのSNSプラットフォームを活用し、自身の体験を詳細に語ることで、多くのフォロワーが彼のメッセージに共感し、支援の輪が広がった。彼が特に強調したのは、医療費の自己負担を軽減する高額療養費制度の重要性である。大病を患うと、治療費だけでなく、生活費や介護費など多岐にわたる経済的負担が家族にのしかかる。齊藤さんは、この制度がいかに多くの患者とその家族を救っているかを、自らの体験を通じて具体的に示し、その維持・強化を訴え続けた。
取材当日、樺嵯斗さんの両親は穏やかな表情で迎えてくれた。まだ四十九日を過ぎたばかりの樺嵯斗さんの部屋には、生花や遺影とともに、彼が仲間と寄せ書きを交わしたグローブが飾られていた。学業に励む傍ら、スポーツにも情熱を傾けていた彼の面影がそこにはあった。
「努力の天才」としての足跡
父親は「小学校時代は毎週土日を野球のクラブチームで過ごしていました。親が言うのもなんですが、運動もよくできる子でした」と懐かしそうに語る。中学時代は特定のスポーツに限定せず、身体を動かすことに重点を置いたトレーニング部に所属。中学入学後間もなく、樺嵯斗さんは自ら「俺、勉強を頑張る」と宣言し、その言葉通り学業に邁進する姿勢を見せたという。
母親によると、この「やる気スイッチ」には裏話があった。「うちは、ただいるだけでもらえるようなお小遣い制を採用していませんでした。その代わり、主人が『もしも学年で〇位以内に入ったら』と、中学生にしては高額な報奨金を提示したんです」。この試みは見事に奏功し、もとから優秀だった成績はさらに向上。約束通りの順位を達成し、両親は報奨金を支払った。「社会に出たら、対価を提供して初めて認めてもらえる。昔からそうやって育てていました」と、その教育方針の真意を父親は明かした。
高校受験では第一志望の公立進学校には届かなかったものの、腐ることなく学び続け、結果として現役で医学部合格を果たした。同じく医学部に通う年子の弟が「努力の天才」と評するほどの勤勉さであった。
家族の絆と社会への訴え
樺嵯斗さんが闘った病は悪性リンパ腫。2023年5月に始まり、2025年9月に彼が逝去するまで、約2年間の闘病生活が続いた。「樺嵯斗の病気があって、以前よりも一層、家族の絆は深くて強いものになったと思う」。そう語る父親は、しかし最後に「でも、やはり生きてほしかった」と唇を噛みしめ、深い悲しみを滲ませた。
齊藤樺嵯斗さんが残したメッセージは、難病と向き合う全ての人々、そしてその家族にとって、いかに高額療養費制度が命綱であるかを社会に訴えかけるものであった。彼の前向きな生き方と、制度の重要性を訴える活動は、多くの人々の心に深く刻まれ、今後の医療制度を考える上で貴重な提言として語り継がれていくだろう。




