歌手の大黒摩季が9月7日、自身のInstagramを更新し、実家の製パン業「札幌キムラヤ」を継いだ弟の大黒礼騎さんの急逝を報告しました。幼少期からの家族写真や大人になってからのツーショット写真を多数投稿し、深い悲しみと弟への愛情を1600文字以上にわたる長文で綴っています。この突然の悲報は、多くのファンや関係者に衝撃を与え、大黒摩季さんの心情に寄り添う声が多数寄せられています。
大黒摩季、急逝した弟・礼騎さんへの深い悲しみをインスタグラムで綴る
脳出血による突然の別れと闘病の経緯
大黒摩季さんの投稿によると、弟の礼騎さんは8月30日には札幌でのライブを家族で訪れ、翌日には姉と共に墓参りをしていました。しかし、そのわずか3日後である9月3日に脳出血で倒れ、懸命な治療にもかかわらず9月6日に53歳という若さで帰らぬ人となりました。彼女は「どうして私から大切な者を奪うのか どうして私が代わってやれないのか」と、深い嘆きを記しています。
礼騎さんは2021年にも椎骨動脈乖離を患い、「死の淵を彷徨い奇跡的に生還」していたと報じられていました。その経験から健康を気遣い、リハビリにも励み、「PHOENIX(不死鳥)の如く復活」する過程にあったといいます。しかし、今回、別の箇所から脳出血が発生。特に「右被殻出血により脳の中心部の動脈から出血し、脳幹までも損傷した」という深刻な状態だったようです。搬送時には既に瞳孔反射もなく全身の機能が低下していましたが、心臓だけは「俺は生きたい」と言わんばかりに強く心拍を保っていたと大黒摩季さんは綴っています。その後も延命治療が続けられましたが、力尽きてしまったとのことです。
姉のキャリアを支えた弟の献身と「札幌キムラヤ」の継承
投稿の中で大黒摩季さんは、実家である「札幌キムラヤ」の継承に関する感動的なエピソードも明かしています。父親が亡くなった際、どちらが家業を継ぐべきかという難しい局面で、弟の礼騎さんは姉の歌手としての道を優先する決断を下しました。
礼騎さんは、「ファンの皆さんから大黒摩季を家業のために奪って恨まれて生きるくらいなら 俺が継いで苦労する方がよっぽどマシだ少しは俺に任せろ 姉ちゃんは大黒摩季を続けてくれ」と語ったといいます。この弟の深い愛情と献身的な願いに対し、大黒摩季さんは「礼騎の愛と願いを無駄にはできないよね」と応え、歌手としての道を迷いなく邁進してきました。弟の支えがあったからこそ、彼女は大黒摩季として活動を続けることができたのです。
芸能界とファンからの共感と追悼の声
大黒摩季さんのInstagram投稿には1万3000件を超える「いいね!」が寄せられ、X(旧Twitter)でも多くの人々が涙腺を刺激され、共感と追悼のメッセージを送っています。
「大黒摩季さんのメッセージ、悲しさと悔しさそして強さも感じられる文章だった」
「弟が先に旅立つなんて、考えただけで耐えられない。摩季さんに心からお悔やみを申し上げます。どんな言葉も無力だ」
「まきねえさん大好き 文章がすごい どうかご気丈に まきさんのことを大好きな人たちがたくさん待っています…」
といった声がSNS上にあふれ、彼女の深い悲しみに寄り添い、励ます言葉が相次いでいます。
忘れられない姉弟のエピソードと未来への誓い
大黒摩季さんは、2021年11月5日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)でも弟さんとの心温まるエピソードを披露していました。弟が結婚を前提に交際していた女性から「愛してるって言って」と何度もせがまれ、仕方なく繰り返した「愛してる」が「薄っぺらい」と言われた体験を、自身の楽曲「愛してます」の歌詞にそのまま採用したところ、弟に怒られたという秘話を明かし、仲の良さがうかがえました。
53歳という若さでの弟の急逝は、姉である大黒摩季さんにとって計り知れない心痛であることは間違いありません。しかし、彼女は喪主を務めることが発表されており、その強さを見せています。大黒摩季さんは、安らかな寝顔の弟に「キムラヤは皆で守り抜こう 大黒摩季も命ある限りやり抜こう」と誓いを新たにしたと綴っています。2027年には「札幌キムラヤ」が100周年を迎えるという節目の年を迎えます。最愛の弟を亡くした悲しみを乗り越え、彼女もきっとPHOENIXのように復活し、前を向いて歩んでいくことでしょう。
参考資料
- Yahoo!ニュース: 大黒摩季、急逝した弟への深い追悼と「札幌キムラヤ」継承の誓い
https://news.yahoo.co.jp/articles/5a3286235f4cc4f0946621e511e9c709e20803ed