十和利山熊襲撃事件の全貌:2016年秋田の悲劇、史上最悪の獣害を深掘り

2016年、秋田県鹿角市と青森県新郷村にまたがる十和利山(とわりやま)の山麓で発生した「十和利山熊襲撃事件」は、日本における獣害事件の中でも特に衝撃的なものとして記録されています。山菜採りで入山した人々が次々とツキノワグマに襲われ、最終的に4名が命を落とし、4名が重軽傷を負うという甚大な人身被害をもたらしました。この事件は、記録に残る本州での熊被害としては史上最悪、国内でも史上3番目に多くの犠牲者を出した悲劇であり、山域に潜むクマの危険性を改めて浮き彫りにしました。本稿では、当時の詳細な状況を検証し、その教訓を探ります。

本州史上最悪の熊被害:十和利山事件の衝撃

十和利山裾野に広がる台地状の熊取平(くまどりだいら)と田代平(たしろだいら)、そしてその南側に位置する大清水(おおしみず)で発生した一連の襲撃は、合計8名の死傷者を出しました。標高990mの十和利山周辺は、県内でも特に冬の寒さが厳しく、積雪も早い地域です。事件発生当時、特に山菜の中でも美味で知られるネマガリダケの採取シーズンであり、多くの人々が山に入っていました。これらの地域でクマによる人身被害が拡大したことは、地域社会に大きな衝撃を与えました。

第一の犠牲者と初期の遭遇:山菜採りの悲劇

事件の幕開けは、2016年5月20日でした。鹿角市在住のAさん(79歳)は、妻が作った弁当を携え、午前7時頃に熊取平へネマガリダケを採りに入山しました。しかし、帰宅予定の夕方になっても戻らず、妻が警察に通報。翌21日午前6時55分頃、Aさんが駐車していた車から約60m離れた草地で、無残にもクマにひどく食害された遺体として発見されました。警察が妻に「数頭のクマに食われたろう。見ない方が良い」と告げるほど、その損傷は激しいものでした。

遺体発見と同日の午前中、現場付近で同じくタケノコ採りをしていた60代の夫婦もクマに襲われる事態が発生しました。夫がゲンコツでクマの頭を叩きつけると、クマは逃げ去り、幸いにも妻が腹部に軽いかすり傷を負っただけで済んだという、間一髪の生還劇でした。

日本の森林に生息するツキノワグマ。十和利山での人身被害を想起させるイメージ。日本の森林に生息するツキノワグマ。十和利山での人身被害を想起させるイメージ。

続く惨事と生存者の証言:命がけの抵抗

悲劇は止まりませんでした。5月22日午前5時頃、秋田市在住のBさん(78歳)と妻Fさんは、クマ除けの笛を吹きながら熊取平近くの笹藪へタケノコ採りに入りました。午前7時30分頃、「クマだ!逃げろ!」というBさんの叫び声と、棒でクマを牽制する音が聞こえ、近くにいた妻Fさんは慌てて逃げ出し警察に通報。警察到着前に妻Fさんが車で現場に戻った時には、すでにBさんの姿はありませんでした。同日午後1時20分頃、Bさんの遺体が発見されました。その遺体は、脇腹がえぐられ、頭部には大きな引っ掻き傷が残されており、第一の犠牲者Aさんの現場から北へ約500m離れた牧草地で発見されました。初撃を笹藪で受けた後、車を停めた林道方向へ約100m南下したものの、力尽きてしまったと推測されています。

相次ぐ死亡事故を受け、東北森林管理局は現場周辺の林道を約6kmにわたり通行止めとするなど対策を講じましたが、残念ながら5月25日には3人目の犠牲者が出ます。青森県十和田市に住むCさん(65歳)が早朝から田代平へタケノコ採りに出かけ、夜になっても帰宅しなかったため、親族が警察に通報。翌26日から捜索が開始されましたが、発見には至りませんでした。

事態はさらに緊迫します。Cさんの弟は、タケノコの買取業者ら18名で捜索隊を組み、29日朝から再入山しました。入山して間もなくの午前8時45分頃、青森県新郷村在住の女性Gさん(78歳)が「息子がクマと闘っているので助けて欲しい」と沢から上がってきました。女性Gさんは背後からクマに襲われ、尻を噛まれて軽傷を負っていました。急斜面のため捜索隊はすぐに駆けつけることはできませんでしたが、大声を張り上げたり草刈り機のエンジンをふかすなどして威嚇すると、沢の下から「このやろう、やるかー、ばかやろー」と息子と思しきHさんの叫び声が聞こえてきました。Hさん(年齢不明)は、ナガサと呼ばれる剣型のナタを手に、約30分近くクマと格闘し、最終的にクマを撃退しました。このHさんの「下に誰かのヘルメットとザックがある」との証言が、Cさんの遺体発見に繋がる重要な手掛かりとなりました。

結論

十和利山熊襲撃事件は、自然の厳しさとツキノワグマの潜在的な危険性を浮き彫りにした痛ましい出来事です。山菜採りなどでの入山時には、クマ対策を徹底すること、複数人での行動を心がけること、そして万が一クマに遭遇した際の冷静な判断と対応が、命を守る上で極めて重要であることを改めて示しました。この事件の記憶は、今後も私たちに自然と共存するための深い教訓を与え続けるでしょう。

参考資料