住吉美紀が語る40代の不妊治療と葛藤:キャリア、出産、そして社会の「当たり前」を問い直す

フリーアナウンサーの住吉美紀さん(52)は、42歳での再婚後、4年間にわたる不妊治療に挑んだ経験を持ちます。夫と3匹のネコと共に暮らす現在、彼女は自身の最新刊『50歳の棚卸し』(講談社)でも、その深い葛藤と治療中止を決断するまでの道のりを赤裸々に綴っています。40代という年齢で直面した不妊治療の現実、女性のキャリアと出産適齢期のジレンマ、そして社会が個人に押し付ける「当たり前」という価値観について、住吉さんの視点から深く掘り下げます。

努力だけでは動かせない現実:不妊治療の厳しさに直面して

住吉さんが不妊治療の中で最もつらかったと語るのは、「どれだけ努力を重ねても、時間を巻き戻して肉体を若い状態に戻すことはできない」という、動かしようのない現実でした。不妊治療に全てを捧げ、他の全てを犠牲にしてもと願ったところで、結果はそれに比例しない、という無力感を痛感したといいます。採卵の痛みに耐えても、子宮に移植可能な胚盤胞にまで到達しないことが続き、その度に「またダメだった」と深く落胆する日々。「無力感は大きかった」と当時を振り返ります。住吉さんがパートナーを求めたのは40歳手前で、現在の夫と出会って結婚した時には42歳になっていました。この高齢でのスタートが、治療の厳しさを一層際立たせました。

フリーアナウンサー住吉美紀さんのポートレートフリーアナウンサー住吉美紀さんのポートレート

「もっと早く」の声と自身の知識不足:女性の身体と社会の価値観

不妊治療を経験する人々に対し、SNSなどで「子どもが欲しいなら、もっと早くから対策すべきだった」という心ないコメントが寄せられることがあります。住吉さんはこうした声に対し、率直に自身の妊娠・出産に関する知識不足を認めています。卵子が一生に一度だけ母親の胎内にいる時に作られ、年齢と共に減っていく一方であること、女性ホルモンの分泌が加齢と共に急激に低下することなど、「誰も教えてくれなかった」というのが本音だと語ります。

さらに、住吉さんの20代の頃は「20代のうちは修行の期間。つべこべ言わずに働くべし」という価値観が根強く存在したと指摘します。誰かに直接言われたわけではなくとも、「これからも仕事を続けていくには、今はすべてを捧げて働くのが当たり前」だと考え、がむしゃらに仕事を優先してきたと言います。当時の社会が形成した無言のプレッシャーが、女性のライフプランに大きな影響を与えていたことが伺えます。

キャリア形成と出産適齢期のジレンマ:社会構造がもたらす影響

特に女性にとって、妊娠・出産とキャリアの問題は切り離すことができません。キャリア形成を優先すると、出産するタイミングを逸してしまうというジレンマに直面する女性は少なくありません。住吉さんの20代の頃、アナウンサー採用で女性が非常に少なかったという状況も、当時の社会構造を物語っています。全国規模の組織維持のために、女性が妊娠・出産によって転勤ができなくなる可能性があったという事情も背景にあったとのことです。

作家の堺屋太一氏が語った「高度経済成長期には『脇目も振らず働きなさい。このレールから外れると、人生のレールからも外れてしまうよ』というような暗黙のプレッシャーが作られていた」という話は、住吉さんに大きな気づきを与えました。当時の人々が「がむしゃらに働き続けなければならない」と思い込まされていた状況は、住吉さん自身の20代の働き方にも重なるといいます。

しかし、近年は働く環境が少しずつ良い方向に変化していると感じている住吉さん。もちろん、まだ不自由な点は多いものの、20代の女性でも自分が望むタイミングで結婚や出産を選択できる人が増えていくことを願っています。

結論

フリーアナウンサー住吉美紀さんの40代での不妊治療経験は、個人の努力ではどうにもならない身体の現実、社会的な価値観や知識の偏りが女性のライフプランに与える影響、そしてキャリアと出産適齢期のジレンマという、現代社会の多層的な課題を浮き彫りにします。彼女の率直な告白は、同じ悩みを抱える多くの人々への共感と同時に、妊娠・出産に関する社会全体の認識を深め、女性が個々の選択を尊重される社会への変革を促す貴重なメッセージと言えるでしょう。

参考文献