〈「私が生まれた瞬間、分娩室がシーンと…」鼻、唇、耳がなく生まれた女性(31)が明かす、生後3カ月で受けた壮絶だった手術〉 から続く
【衝撃画像】「自分はこの顔で生まれてきたんだ」とトイレで吐いてしまったと言う幼少期のえみかさんの写真
「口唇口蓋裂」とその合併症等によって鼻と唇、耳がなく、心臓に3つ穴が開いた状態で生まれた小林えみかさん(31)。これまでに20回以上手術を受け、現在は口唇口蓋裂の当事者・家族支援を行うNPO法人の代表を務める。
日本に口唇口蓋裂の患者は500人に1人いるとされ、決して珍しい病気ではないが、いまだに差別や偏見もあるという。そんな社会を変えたいと活動する小林さんに、“見た目”や治療に苦しんだ半生について聞いた。(全4回の2回目/ 続き を読む)
◆◆◆
補聴器をつけた瞬間、世界が180度変わったような衝撃があった
――生まれた時は耳がない状態だったそうですが、具体的にどういう状態だったのでしょうか。
小林えみかさん(以下、小林) 左耳には耳たぶがあったのですが、右耳は穴だけという状態だったんです。
――聴力は問題なかったのでしょうか。
小林 ずっと高度難聴です。耳たぶのある左耳だけは若干聞こえて、穴だけの右耳はほとんど聞こえない状態で。
両親も発語が遅いなと思っていたようですが、小さい時は口唇口蓋裂と心臓のことで頭がいっぱいやったので、耳の方はあまり深く考えられていなかった、というのは後から聞きました。
――生活に不便は感じていなかった?
小林 イエス・ノーぐらいは反応できてたんですけど、遠くから呼びかけられても聞こえていない状態だったみたいです。
今でも覚えているのが、4歳の時に初めて補聴器をつけた瞬間、世界が180度変わったような衝撃があって。瞬時に、「うるさっ!」ってなったんですね。
――急に音が聞こえるようになってびっくりして?
小林 こんなたくさんの音を毎日、皆は普通に聞いているのかっていうのが衝撃で。で、補聴器を付け始めたその日からテレビに張り付いて、いろんな音が聞こえる楽しさを堪能してました。
――一番感動した「音」ってありますか。
小林 とにかく何でも耳元でクリアに聞こえるのが感動で。親の声ってこんな声やったんや、とか。
イメージで言うと、私がそれまで聞いてた音は水の中で聞いてるような、くぐもった音だったんです。だから本当にゲーム感覚で、いろんな音や言葉を知りたいと、とにかくテレビの前にずっといたのは記憶にあります。補聴器をつけてから、発語も一気に増えました。






