「27LDKKK」の豪邸暮らしだった中山功太「家業を継いで」と期待されるも芸人の道を選択「母がボロボロと涙を流し」


【写真】「まさか…」20代で父の会社が倒産、一家離散となった当時の中山さん(7枚目/全15枚)

── 中山さんが子どものころは、お父さんが会社を経営されていたそうですね。当時はどのような暮らしだったのでしょうか。

中山さん:うちの実家は、祖父の代からソファーベッドの製造・販売を営んでいて、父は2代目として会社を引き継いでいました。当時、バブルの影響もあってか、事業は順調だったようでした。僕が5歳になったときには、父が大阪に200坪の土地を買い、3階建て+屋根裏部屋のある大きな家を建てていました。

── 中学時代に、金銭感覚を意識させる出来事があったということですか?

中山さん:僕が中学3年生のとき、祖父と父が自宅を「27LDKKK」に増築したんです。当時、実家の裏側にあった土地が売地に出されることになったのですが、祖父が「そこもわが家の所有地にする」と言って突然、購入。隣の土地と繋げる形で自宅をリノベーションし、27個の部屋と3つのキッチン、4つのトイレがある家になりました。

── 6人家族で27部屋もあると、使わない部屋も多かったのではないでしょうか。

中山さん:「絵だけ飾ってある部屋」とか、兄が趣味で集めていた「フィギュアを飾るための部屋」なんてのもありました(笑)。キッチンやトイレを増やしたのも、必要を感じたからではなくて、「とりあえず増やした」という感じ。僕も7畳の部屋を1つ使っていただけだったので、使っていない部屋のほうが多かったように感じています。



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