はじめに:明かされた真犯人、そして残された問い
前回放送で、一連の殺人事件の犯人が刑事であり、高木(間宮祥太朗)の友人でもある宇都見(木村昴)だと判明しました。彼の動機は、高木たちがいじめていた瀬戸紫苑(吉田帆乃華/大後寿々花)への復讐という明確なものでしたが、まだ多くの疑問点が残され、「真犯人」の存在が示唆されたままでした。そして12月20日に放送された日本テレビ系ドラマ『良いこと悪いこと』の最終回では、物語のすべてのピースが見事に繋がり、多くの謎が解明されることとなりました。
ドラマ「良いこと悪いこと」のキービジュアル、日本テレビ提供
「イマクニ」店主と東雲が仕掛けた復讐劇の真相
結論から言えば、視聴者、特にSNS上で活躍した考察班の推理が的中しました。高木たちが出入りしていたバー「イマクニ」の店主である今國(戸塚純貴)と、園子(新木優子)の同僚である東雲(深川麻衣)こそが、事件の“真犯人”だったのです。彼らもまた、紫苑と同じタクト学園の出身であり、いじめの被害者でした。紫苑の死をきっかけに、彼らはその復讐のため、そしていじめを取り巻く社会システム自体を変えることを目的に、宇都見を実行犯として一連の殺人を計画していました。高木が今國の関与に気づくきっかけとなったタクト学園のロゴのくだりを含め、考察とのあまりの合致に驚きを覚えた視聴者も多いでしょう。しかし、このドラマの本質は、考察の「答え合わせ」ではなく、そこから見出されるテーマとその表現にあると言えます。
純粋な「復讐劇」としての着地点と「因果応報」の問い
このドラマが、あえて奇をてらうことなく純粋な「復讐劇」として着地点を見出したことは、高く評価されるべきポイントです。悪い行いをした者は、たとえ何年経とうともその罰を受けなければならない。このような因果応報的な考え方は、「さるかに合戦」のような昔話を通じて古くから語り継がれてきました。本作は、そうした普遍的な教訓を現代的な切り口で再解釈し、私たちに提示しているのです。加害行為の被害者たちが抱える苦しみを、犯罪という極端な形で描き出すというオールドファッションな手法を用いながらも、その根底には「報い」という強力なメッセージが込められています。
加害者・高木の「贖罪」が描くもの
本作で特に興味深いのは、いじめという加虐行為の被害者たちの苦しみを描くだけでなく、加害者側である高木の「贖罪」の姿を一貫して描き続けた点です。彼は自身の過去の行いを省み、深く悔やみ、そして被害者に直接向き合います。単に赦されることを目的とせず、自問自答を重ね続ける高木。その過程で友人たちは命を奪われ、自身の娘が誹謗中傷を受けるという状況に直面しながらも、彼は内省し、悔やみ、向き合い続けることをやめません。
しかし、当然のことながら、加害の事実は消えることはなく、誰も幸せになるわけではありません。それでも少なくとも、贖罪しようとする者からその機会を奪うべきではないというメッセージが込められています。昨今、安易に蔓延する私刑を推奨するような見方や、無関係の人間が誰かの過去の悪事を掘り起こして責め立てる行為、そして本作で描かれるような復讐もまた然りです。そこから生まれるものは結局、憎しみや悲しみ、苦しみといった負の連鎖以外の何物でもないことを、ドラマは私たちに訴えかけています。
「いじめをなくす」という目標と「曖昧な結末」
同時に、東雲たちが掲げた「いじめをなくす」という目標についても、果たしてそれを実現することが可能なのか、ドラマは安易な答えを出すことなく、あえて曖昧なまま幕を下ろします。本作はあくまでも、ひたすら「良いこと」と「悪いこと」を「選択すること」、そしてその選択に「責任を持つこと」という形で受け手に委ねています。子どもであろうと大人であろうと、流されるようにして選択を放棄した先に、自分が本当に望んでいるものなど決してありはしないとでも言うかのように。
結論:私たちに問われる「選択」と「責任」
ドラマ『良いこと悪いこと』の最終回は、単なる復讐劇の結末ではなく、現代社会に蔓延るいじめや私刑、そして人間の「選択」と「責任」という重いテーマを私たちに突きつけました。安易な解決策を提示せず、観る者一人ひとりに深く内省を促すそのメッセージは、物語が幕を閉じた後も長く心に残り続けるでしょう。私たちは、日々の選択一つ一つに責任を持ち、負の連鎖を断ち切るために何ができるのか、改めて問い直す機会を与えられました。





