小泉八雲は「歩くニュース」だった!朝ドラ「ばけばけ」が描かない当時の熱狂報道

NHK連続テレビ小説「ばけばけ」では、小泉八雲をモデルとしたヘブン(トミー・バストウ)を追いかける新聞記者の梶谷吾郎(岩崎う大)が登場します。物語では、ヘブンの日常が「記事にならない」と一蹴される場面もありますが、当時の史実は大きく異なっていたようです。本記事では、地方紙が小泉八雲をいかに「恰好のニュースネタ」として捉え、熱心に報じていたかについて、当時の新聞記事から紐解きます。

小泉八雲、地方紙を賑わせた「注目の的」

「ばけばけ」の作中で、梶谷記者がヘブンの何気ない日常に「そんなの記事にならない」と吐き捨てる場面は、視聴者に違和感を与えました。しかし、史実における小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の松江での生活は、当時の地方紙にとってまさに「金の卵」だったのです。1882年創刊の「山陰新聞」(現在の山陰中央新報)と、1890年に創刊したばかりの「松江日報」。山陰地方で唯一の日刊紙を謳う「松江日報」の登場により、両紙は激しい競争を繰り広げていました。

小泉八雲のイメージ写真小泉八雲のイメージ写真

そんな中、月給100円という当時の県知事級の破格の給与で招聘された外国人英語教師、小泉八雲が松江に赴任してきました。八雲は「誰も読んでいないがアメリカではすごい文豪だ」と噂される人物。当時の情報源として新聞が最重要視されていた時代において、地方紙にとってこれほどの「ネタ」はありませんでした。まさに、ハリウッドスターが突然地方都市に引っ越してきたようなもので、八雲が息をするだけで記事になる、そんな状況だったと言えるでしょう。

記者の熱意が伝わる「松江日報」の詳細報道

「松江日報」1890年9月14日付の記事は、新聞社がいかに八雲の動向に期待を寄せていたかを鮮明に示しています。この記事は赴任したばかりの八雲の人となりを紹介するものですが、記者が冨田旅館を訪れるまでの経緯が異様に長く記されているのが特徴です。冒頭では、日本の文化・習俗を野蛮だと書き記す外国人に対する批判が述べられた後、本題に入ります。

記事によると、「今度本件に雇入れられたる御雇教師ヘルン氏は感心にもまったくこれに反して日本の風俗人情を賞讃すること切りにして、その身も常に日本の衣服を著して日本の食物を食し只管日本に癖するが如き風あり」と、八雲が日本の文化を深く愛し、日本の衣服を身につけ、日本の食事を好む様子が伝えられています。

さらに記者は、ヘルン先生が日本文化に傾倒していると聞き、すぐに旅館を訪ねようとしたものの、自身が浴衣姿だったため「大にその礼を失するものならんとて態々其家に帰りて洋服に著換へそれより氏の旅宿に赴きたる」と、一旦自宅に戻って洋服に着替えてから面会に向かったという、なんとも人間味あふれるエピソードを詳細に記しています。

このように、小泉八雲の松江での生活は、ドラマが描くような「記事にならない」日常とはかけ離れた、地方紙がこぞって追いかけるセンセーショナルな話題でした。彼の学識、異文化への適応、そしてその存在自体が、当時の松江の人々にとって最大の関心事であり、新聞がその期待に応えようと競い合っていた様子が、史実の報道から見て取れます。

参考文献

  • 中国電力(株)エネルギア総合研究所「エネルギア地域経済レポート」No.467 2013年
  • Yahoo!ニュース/プレジデントオンライン (2025年12月22日). 「NHK「ばけばけ」の記者は史実とまるで違う。小泉八雲は朝起きてから寝るまですべてがニュースだった」. https://news.yahoo.co.jp/articles/1554d1cd43959e4b1fd8f3f7d8ee3903ca435fd1