NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」では、主人公トキ(髙石あかり)の最初の夫が松江を訪れる場面が描かれ、視聴者の間でその史実への関心が高まっています。ルポライターの昼間たかし氏は、このドラマが描く人間関係の背景にある複雑な史実を、文献や資料に基づいて深く掘り下げています。本記事では、「ばけばけ」のモデルとなった小泉セツの最初の結婚とその後の状況、そして小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)との結婚に至るまでの知られざる事実を、SEOと読者の理解を両立させる形でご紹介します。
最初の夫・前田為二との縁:史実の複雑な状況
NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」の2025年最終週は、ヘブン(トミー・バストウ)との関係に揺れるトキ(髙石あかり)のもとに、かつて東京で別れた元夫・銀二郎(寛一郎)からの手紙が届くという展開から始まりました。しかし、作中の手紙はフィクションであるものの、史実においても銀二郎のモデルである前田為二とセツの縁が完全に切れていたわけではありませんでした。
離婚はしたものの、セツが八雲のもとで女中として働き始めた時点でも、為二はセツの養家である稲垣家に籍が残っていたのです。為二との離婚後、セツは生家の小泉家に復籍し「小泉セツ」となりますが、別れた夫は「稲垣為二」として籍が残るという、非常に複雑な状況が続いていました。この背景には、為二が約14年間も“婿養子”のままだったという事情があり、その複雑な戸籍問題は八雲との再婚に大きな影響を与えます。
NHK連続テレビ小説「ばけばけ」のモデルとなった小泉セツと最初の夫に関する史実イメージ
小泉八雲との正式な結婚と入籍の手続き
小泉八雲が事実婚の状態を解消し、セツと正式な結婚をするためには、この複雑な戸籍問題を解消する必要がありました。二人が出会ってから5年あまりが経ち、子供も生まれたことで、八雲はいよいよ日本に深く根付くことを決意します。
山陰新聞の1895年9月19日付の報道では、八雲の結婚が以下のように報じられました。
かつて本県第一尋常中学校に雇われ、後熊本高等学校に赴き、更に神戸の外字新聞主筆となれるラフカジオヘルン氏は、小泉節子(当地人)との間に一子を設け、遺産相続等の都合ありしを以て、過日同家の入婿となるの手続きをおえたりと。
この報道にある「遺産相続等の都合」という文言からは、八雲がセツの家族全体を支える覚悟を持っていたことが伺えます。
手続きを支えた奇人「高木苓太郎」の役割
八雲とセツの入籍手続きにおいて、重要な役割を果たしたのが、セツの遠縁にあたる高木苓太郎という老人でした。彼は明治維新後に易学を学び、占い師となった奇人で、常に髪も髭も伸び放題の自由人でした。年に一度ほどしか自宅に戻らない放浪の生活を送っていましたが、その占いはよく当たると評判で、多くの人々から信頼されていました。
八雲は、このような個性的な人物に強い興味を抱かないはずがなく、彼への取材を通して短編「占いの話」を記しています。さらに、セツと結婚後に小泉家が雇った女中は、この高木苓太郎の娘でした。西田千太郎の日記にも、高木が八雲夫妻のもとを何度か訪れ、入籍の経緯を報告していたことが記されており、彼がいかに重要な仲介役であったかが示されています。
前田為二のその後:歴史に残る謎
八雲とセツの再婚手続きが進められる中で、前田為二がセツの再婚について知っていたのか、あるいは復縁を望んでいたのかは、今日まで詳しいことは分かっていません。彼のその後の人生についても、歴史の記録にはほとんど残されておらず、多くの謎に包まれたままです。
結論
NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」は、小泉セツと小泉八雲という歴史上の人物の複雑な人間関係に光を当てています。特に、セツの最初の夫・前田為二との縁や、八雲との結婚における戸籍問題、そして謎多き高木苓太郎の関与は、ドラマでは語り尽くせない史実の深さを示しています。史料から読み解かれる彼らの物語は、単なるフィクションを超え、明治時代の社会や人々の生き様を今に伝える貴重な情報源となっています。現代の私たちにとっても、過去の複雑な人間ドラマから多くの示唆を得られることでしょう。
参考文献
- 広瀬朝光 (1976). 『小泉八雲論:研究と資料』 笠間書院.
- 白上一空軒 (1990). 『東西文明を結ぶ新しい易の世界』 中野出版企画.
- PRESIDENT Online (2025). 「1年で失踪、3年で離婚したはずが…「ばけばけ」モデル・セツの“最初の夫”が14年も“婿養子”のままだった理由」.





