日本の「原爆開発計画」が失敗に終わった当然の理由


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● ドイツで核分裂研究を行った ヴェルナー・ハイゼンベルク

 軍事利用を視野に入れたドイツでの核分裂研究は、1939年に勃発した第2次世界大戦の直前あたりから開始されている。ハイゼンベルク(編集部注/ヴェルナー・カール・ハイゼンベルク―Werner Karl Heisenberg。1901年12月5日〜1976年2月1日。ドイツの物理学者)もまた、アメリカの物理学会誌「フィジカル・レビュー」に掲載された「ボーア=ホイーラー核分裂理論」を参照していた。

 この論文には、どんな量のエネルギーを持った中性子(編集部注/原子核を構成する無電荷の粒子)を吸収しても、ウラン235の原子核に分裂が起こりうること、原子核に入ってくる中性子のエネルギーが小さいほど(スピードが遅いほど)原子核は分裂を起こしやすいことなどが記されている。

 したがって、ハイゼンベルクもコロンビア大学のフェルミ(編集部注/エンリコ・フェルミ―Enrico Fermi。1901年9月29日〜1954年11月28日。イタリア、ローマ出身の物理学者。アメリカの原爆開発「マンハッタン計画」で中心的な役割を果たした)やシラード(編集部注/レオ・シラード―Leo Szilard。1898年2月11日〜1964年5月30日。ハンガリー生まれの物理学者。フェルミの助手的な立場でマンハッタン計画に参加)と同様に、天然ウランと減速材(編集部注/核分裂後に放出される中性子の速度を下げる役割を果たすもの)を使った核分裂連鎖反応持続装置の設計を考えるようになっていた。



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