「主治医から、『もっても年内だ』と言われました」死の2カ月前、石川知裕元衆院議員からかかってきた電話…旧知のノンフィクション作家が綴る「悪党」の病床秘話


【画像】石川知裕氏の手記『悪党 小沢一郎に仕えて』

 参院選公示日の翌日、私のスマホに石川知裕(当時52)からの着信があった。

「急ですみませんが、明日、お時間ありませんか。一昨日に再入院しまして」

 2025年夏だった。そう言われ、通話は切れた。

 石川とは15年来の間柄である。11年、彼の手記『悪党 小沢一郎に仕えて』(朝日新聞出版)を二人三脚で編んだ。それからも毎週のように連絡を取り、政治談議を繰り返してきた。

 職業倫理上、現職であれば、そこまで深い仲にはならなかった。だが、彼は議員バッジを外して12年も経つ。しかも、24年2月にステージⅣの大腸がんが見つかり、闘病もしていた。

 大型国政選挙となれば、私が全国を取材行脚していることは、石川もよく知っている。その日の電話も19時45分にかけてきた。街頭演説が終わる頃を見計らったのだろう。若き日に小沢一郎事務所で会得した気配りは健在だった。

 通話の後、こんどはショートメールが届いた。

〈来る時、冷たいお菓子一つ三百円程度、三十個買ってきてくれませんか。看護師さんたちに渡すのに〉

 東京逓信病院5階の個室からは、早稲田大学のある方角が望めた。

「主治医から、『もっても年内だ』と言われました」

 そして、こう続けた。

「トコイさん、最後に一緒に本を書きませんか」

 それから、2人だけの企画会議が始まった。

《 この続き では、病床の極秘計画、小沢一郎氏の秘書時代、公民権停止期間中に出馬を断念し妻を担ぎ出した際の裏話、鈴木宗男・貴子の親子との秘話などを詳述している。記事の全文は現在配信中の「 週刊文春 電子版 」および2025年12月25日発売の「週刊文春」で読むことができる》

常井 健一/週刊文春 2026年1月1日・8日号



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