将棋棋士志した息子の生きた証 宝塚市に震災の追悼碑

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阪神大震災から25年 宝塚市のゆずり葉緑地に震災犠牲者の銘板設置へ、当時弟子の船越隆文さんを亡くした将棋の森信雄七段が思い出を語る。後ろは宝塚市の慰霊碑=11日、兵庫県宝塚市小林(前川純一郎撮影)
阪神大震災から25年 宝塚市のゆずり葉緑地に震災犠牲者の銘板設置へ、当時弟子の船越隆文さんを亡くした将棋の森信雄七段が思い出を語る。後ろは宝塚市の慰霊碑=11日、兵庫県宝塚市小林(前川純一郎撮影)
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 阪神大震災で118人が亡くなった兵庫県宝塚市で、犠牲者の名前を刻む「追悼の碑」が建立される。平成26年に設置計画を立てたがその後進まず、遺族が待ち望んだ6年越しの実現。将棋棋士への道半ばで17歳で命を絶たれた息子が生きた証しを残し、家族の元から離れて暮らした宝塚を第二の故郷に、と願う母の思いが計画を後押しした。(木ノ下めぐみ)

 「息子の口癖は『いつもお母さん僕のためにありがとう』だった。あの子のためにしてあげられることが名を刻むことだと思った」

 震災で次男の隆文さん=当時(17)=を亡くした船越明美さん(72)=福岡県=はこう話す。

 宝塚市は6年前、犠牲者の遺族に意向を聞き、碑の計画に乗りだした。賛同した市民から寄付が集まるものの、意見がまとまらず計画は頓挫しそうになったところ昨年2月、中川智子市長に宛てに手紙が届いた。

 この手紙を送ったのが船越さんだった。

 隆文さんはプロ棋士の養成機関の関西奨励会(大阪市)に入会し、親元を離れ師匠の森信雄七段(67)=平成29年に引退=が暮らす宝塚市に身を寄せていたが、住んでいたアパートが倒壊し、亡くなった。

 この直前、隆文さんは対局で勝ち始めたころだった。「本人も手応えを感じ始めていた矢先。見守り続ければ堅実な手を指す良い棋士になると思った」(森さん)

 隆文さんの死後、夢に向かって濃密な時を過ごした息子の思い出の地を何度も訪れた。森さんの門下生の活躍を聞けば、「皆と一緒にあの子も頑張っているような気がして、将棋の中に生き続ける隆文さんに会えるような気がした」。

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