【四半世紀の歩み 震災25年】(中)親友の分まで「生きる」 田中いずみさん、約束果たし外大進学

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同じ外国語大を目指した親友を阪神大震災で亡くし、現在は日本語教師として外国人に日本語を教える田中いずみさん(後列中央)=神戸市中央区の神戸YWCA学院(南雲都撮影)
同じ外国語大を目指した親友を阪神大震災で亡くし、現在は日本語教師として外国人に日本語を教える田中いずみさん(後列中央)=神戸市中央区の神戸YWCA学院(南雲都撮影)

 「絶対同じ大学に一緒に合格しよな」と誓い合った親友はその数日後、阪神大震災でこの世を去った。神戸市灘区の田中いずみさん(41)。突然の別れに苦しむ時期もあったが、交わした約束を胸に前を向き、2度目の挑戦で合格した。「いつ何が起こるか分からない。当たり前の毎日に感謝してほしい」。現在は日本で暮らす外国人に日本語を教え、震災経験も伝えている。

 平成7年1月17日早朝、激しい揺れで目が覚めた。両親と3人で暮らす兵庫県尼崎市の実家も被害を受けたが、家族は無事だった。

 崩れ落ちた高速道路や黒煙に包まれる民家の数々…。テレビ画面に映る神戸の街に、通っていた同県芦屋市の県立高校の友人らの安否が心配になり、不安をかき消すように電話をかけ続けた。

 「誠が死んだらしい」。唯一つながった電話は、親友の松浦誠さん=当時(16)=の死を知らせる報告だった。頭が真っ白になり、言葉を失った。住んでいた神戸市兵庫区の家が全壊し、その下敷きになったのだ。

 1年生の40人クラスで男子はたった3人。それでも松浦さんは明るく優しい性格で、リーダー的な存在だった。互いに英語が得意で2人で勉強のことを話すことが多くなった。学校からの帰り道、神戸市外国語大への進学を誓い合ったのは、震災のわずか数日前のことだった。

 震災から約1カ月後に学校の授業が再開し、松浦さん以外にも同級生や教諭ら7人が犠牲になったと知った。「なんで誠らが死ななあかんの」。自分に問い続けたが、親友を失った悲しみは癒えなかった。

 クラスメートと話し合い、教室に残された松浦さんの机にサボテンを置いた。「いつも誠が見守っている」。そう思うと気持ちが少しずつ楽になり、前を向くことができた。

 それからは約束を果たそうと受験勉強に力を注いだ。思うように成績が伸びない時でも諦めなかったのは、いつもどこからか聞こえるように思える松浦さんの「何しとんねん。頑張れよ」という声があったからだ。

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