□ひねもすのたり日記 (小学館・1150円+税など)
■戦争体験・漫画との出会い「絵日記」に
漫画界のレジェンドが手掛ける18年ぶりの“新作”だ。子供時代の旧満州からの引き揚げ、戦後の漫画文化の発展と歩んだ日々、そして80代を迎えた現在…。人生の悲哀から生きる喜びまでが詰まった直筆の「絵日記」だが、こんな面白い日記はそうそうない。
漫画誌「ビッグコミック」の巻末で連載。水木しげるさんから引き継ぐ形で平成27年に始めた。第1集では敗戦による引き揚げの日々が主に描かれる。乳飲み子含め4人の子供を連れた一家の決死の逃避行に、さっきまで遊んでいた友人の突然の死。当時の悲惨さがありありと伝わる。
「読むと楽しくなったり、癒やされたりするのが漫画の役割。(過去には)つらい話が多く、できるだけ描きたくなかったんです」
年齢や健康面のこともあり、当初は連載を続ける自信がなかった。それでも描き始めたのは、「同じ境遇にいて亡くなった人たちがたくさんいたけど、私は生き残った」からだという。
「水木さんも戦争の話を描いた。描き残すのが自分に残された使命なんじゃないか。体力が続く限り描いてみよう-と思いました」
ただ、つらい思い出ばかりではない。大連での海水浴など、子供目線の楽しい日々も描かれる。特筆すべきは、描かれた食べ物がどれも実においしそうなこと。大連のホテルで食べたオレンジ色のチーズ。命からがらたどり着いた本土で食べた銀シャリのおにぎり…。目頭が熱くなりながらも、読んでいておなかがすく。
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ちば少年と漫画との出会いも描かれる。7歳のとき、畦道(あぜみち)に落ちていた漫画を拾い、あまりの面白さに衝撃を受けたという。「その晩、漫画嫌いの母から漫画を破り捨てられました。それでも、あのときの感動が忘れられなかった。隠れてのめり込みましたね」
成長後いろいろなアルバイトに挑戦するも、要領が悪く失敗の連続。親からも「どうやって生きてくんだか」と心配されたちば青年は、17歳で「天職」の職業漫画家の道を歩み始める。だが、締め切りに追われ、幻覚まで見えた激務の日々に、体調はもう限界。「漫画家をやめよう」と決意する。
そんなとき、たまたまもらった仕事が念願の少年漫画。当時大人気のプロ野球を題材にした『ちかいの魔球』の作画を手掛けた。野球のことは全然知らなかったが、担当編集者が文字通り、手取り足取り野球のことを教えてくれた。キャッチボールで長年の運動不足と体調不良も解決した。