凄腕の殺し屋だった。銃を抜けば「早撃ち世界第3位、0・65秒」。指を左右に振りながらニヤリと笑う。人呼んで「エースのジョー」。もちろん映画の中での話。だが、日本を舞台に殺し屋やガンマンが活躍する映画が毎月のように公開され、人気を博したことなど、今では想像もつかないだろう。
映画は娯楽の王様だった。「エースのジョー」こと宍戸錠さんは、その立役者の一人となった。日活の第1期ニューフェイスに合格。細面の二枚目だったが、飛躍するきっかけを求めて豊頬(ほうきょう)整形手術を受けた。著書によれば、新人の頃、大女優から「差し歯にするといい」と助言された。役のためなら肉体改造も辞さないのが役者。そのときの衝撃が、記憶の底にこびりついていた。不敵な面構えになり、悪役を研究。小林旭さんや赤木圭一郎さんの敵役で注目され、観客は主役ではなく宍戸さんの殺し屋に拍手を送ったという。
「エースのジョー」は、昭和36年に「ろくでなし稼業」が封切られる際、日活の社員が宍戸さんにつけたニックネーム。入社7年、出演77作目にして初めての主演作だったが、石原裕次郎さんの「タフガイ」など、ニックネームは日活スターの証しだ。
だが、「初めての主役だけに、新しい芝居もしてみたいと思います。役を工夫する楽しさを、どの程度まで主役で生かせますか…」とたゆまず研究した。映画産業が衰退し、宍戸さんは17年いた日活を離れてフリーになったが、「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」「くいしん坊!万才」など、テレビで才能を発揮したのも、この熱心な研究のたまものだろう。
事実上の倒産を経て再生した日活が最初に手がけた平成9年の映画「愛する」の撮影に参加。なじみの撮影所に立つと「ものすごく感激です」と喜びを語った。「だれが見ても楽しめる“娯楽大活劇”をいつかやってみたい」と語り続けた。生涯、日活のエースのジョーだった。(石井健)
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1月18日、86歳で死去。