「娘と抱き合える日を願って」 有本嘉代子さん、生前産経新聞に手記

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有本恵子さんの幼い頃のアルバムを見ながら微笑んでいた母の嘉代子さん=神戸市長田区の自宅(頼光和弘撮影)

有本恵子さんの幼い頃のアルバムを見ながら微笑んでいた母の嘉代子さん=神戸市長田区の自宅(頼光和弘撮影)

 1983(昭和58)年に北朝鮮に連れ去られた拉致被害者、有本恵子さん(60)=拉致当時(23)=の母、嘉代子さんが3日、心不全のため死去した。94歳。平成26年5月、嘉代子さんと夫の明弘さん(91)を特集した産経新聞の夕刊で、2人は恵子さんへの思いを綴(つづ)った手記を寄せていた。

 恵子が北朝鮮にいることがわかって今年で二十六年。北朝鮮に拘束されて三十一年になります。二十三才だった恵子が五十四才になってしまいました。

 気が遠くなる様な永い年月です。お母さんの頭には伊丹から出国する時の恵子の顔しか思い出せません。一九八三年八月九日に帰国する予定だった恵子とは、以後連絡が途絶え、外国でのことであり探しようがなかったのです。忘れられないけれど、忘れよう忘れようと日を送っていました。

 一九八八年九月六日、北海道の石岡様より突然電話をいただいて北朝鮮にいることがわかり、ああ生きていてくれたと、どんなに嬉しかったことか。早速、政府にお願いすれば連れ戻して下さると思い行動しました。

 当時は北朝鮮のことはマスコミも報道しておらず、救出活動を通して大変な国であるということがわかりました。

 結婚して子供も生まれたと聞いております。不自由な国で、どのようにして育てたのかと思うと胸が痛みます。二十七、八才になったと思っていますが、その子が心の支えになっていると信じています。一日でも早く、恵子と四人でしっかり抱き合うことのできる日が来ればと願っています。

 お母さんも毎朝、神さんをお祭りして、一日でも早い帰国をと、お願いしております。それまで恵子たち家族の健康と私たちの健康も、ともに念じております。

 くれぐれも体に気を付けて、希望をすてないで頑張ってください。お父さん、お母さんもともに頑張ります。(原文ママ)

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