【よみがえるトキワ荘】未来へ(4)夢追う若者の代名詞に

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トキワ荘プロジェクトを運営するニューベリーの小崎文恵理事長=品川区(鵜野光博撮影)

トキワ荘プロジェクトを運営するニューベリーの小崎文恵理事長=品川区(鵜野光博撮影)

 「中国版トキワ荘」「スポーツトキワ荘」「アート版トキワ荘」「トキワ荘芸人」…。「トキワ荘」の名前は、共同生活をしながら夢を追う若者たちの代名詞として、しばしばニュースの見出しや事業の名前になって登場する。

 「若い漫画家たちが切磋琢磨(せっさたくま)してデビューを目指す。それを支援する事業として、『トキワ荘』の名は象徴的で分かりやすかった」

 そう話すのは、京都市新産業振興室の牧沢憲課長。同市は平成24~28年度に「京都版トキワ荘事業」を行い、共同生活を送る漫画家志望の若手を募集し、延べ21人が参加、7人が11の漫画賞を受賞するなど実績も残した。この事業を受託したのが東京都品川区のNPO法人ニューベリーで、同法人は都内を中心にシェアハウスとプロデビューのための漫画講座などを組み合わせた「トキワ荘プロジェクト」を展開している。

 「プロジェクトを始めた18年当時は、地方から東京に出てきて夢を追うことは、今よりずっと大変だった」と、理事長の小崎文恵さんは話す。デビューという「分かりやすい出口」がある漫画家の志望者を対象に、シェアハウスで安く家を貸すことから始めた。「漫画家を目指す人が周りにいなかった」という若者が、同じ志の仲間を見つける場になると同時に、「みんなで頑張ろう、だけじゃ前に進まない」と、基礎的技術などを教える講座を24年から開始。仕事の紹介も行っている。

 同プロジェクトのシェアハウスは現在、都内に14、千葉に2、埼玉に1の計17軒あり、約70人が生活している。累計の在籍数は512人で、そのうち作品が商業誌に載るなどプロデビューした人は119人(3日現在)を数える。

 トキワ荘の名を看板にしたことについて、小崎さんはこう話す。

 「正直、キャッチーで分かりやすいから。漫画家の共通言語になっているし、今の時代に、あのような名だたる人たち(手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫ら)が一堂に会したような現象を、もう一回起こせたらいいなという思いもあったのでは」

 本物のトキワ荘(豊島区南長崎)に漫画家たちが住んだのは昭和20年代後半から30年代半ば。それから60年以上が過ぎた今も、伝説は生きている。行政や民間が取り組むトキワ荘を冠した事業に、かつて若手を引き寄せ、導いた手塚という巨人はいないが、夢を追う若者を支援し、見守る人々は確かにいる。

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