49日間に及ぶ逃走劇の終結から1年4カ月余りを経て、樋田淳也被告(32)が13日、大阪地裁堺支部の法廷に姿を見せた。自転車での「日本一周」を装って逃走を続け、身柄確保後の調べに黙秘を貫いたとされる被告。初公判は同支部最大の203号法廷で開かれ、注目の高さをうかがわせた。
被告は午前11時の開廷前に入廷。確保時のような精悍(せいかん)な風貌は消え、この日は黒い短髪に白シャツと黒のスーツ姿だった。真っ黒に日焼けしていた顔はすっかり白くなり、不安げな表情を浮かべていた。8人の刑務官が見守る中、手錠と腰縄が外されると、傍聴席に目をやりながら着席した。
罪状認否で裁判官から加重逃走罪について問われると、小さな声で答えた。「逃走は認めるが(仕切り板を)壊したのは私ではない」
続いて行われた検察側の証拠調べでは、留置場の担当者らの供述調書が読み上げられた。《(接見時間が長いと)気になったので見に行くと、板に10センチ程度の隙間があった》《呆然(ぼうぜん)としたが、すぐに『逃げられた』と大きな声で叫んだ》。逃走発覚時の署内の混乱が伝わる内容だったが、被告は法廷内の壁に掛けられた時計に目をやったり、伏し目がちに前を見つめたりするだけだった。
被告は富田林署から逃走後、自転車で日本一周中の旅人を装い中四国を転々としていたとされる。立ち寄り先では記念撮影に応じ、別名で置き手紙を残す大胆さも見せた。確保されたのは署から約400キロ離れた山口県内の道の駅。バリカンで頭を丸めるなどしており、取り押さえた関係者も被告本人とは分からなかった。
公判では、捜査で明らかにならなかった逃走の計画性や詳しい手口も焦点となりそうだ。