【時刻表は読み物です】若い僕らの修学旅行 「きぼう」「ひので」に乗って

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京都鉄道博物館に展示されている155系電車の模型(20分の1サイズ)。カラフルな配色は大阪の中学生の案が基になっているという

京都鉄道博物館に展示されている155系電車の模型(20分の1サイズ)。カラフルな配色は大阪の中学生の案が基になっているという
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 学校生活の大きなイベントのひとつが修学旅行。同級生たちとの旅は、何年たっても楽しい思い出として残っている。今どきは飛行機に乗って海外へという学校も多いようだが、昭和の時代は列車が主流だった。30年代から40年代にかけ、国鉄には専用車両を使用した修学旅行列車が存在。子供たちの希望を乗せ、東へ西へ走り続けた。

 先月発売された「時刻表完全復刻版 1964年9月号」(JTBパブリッシング、税別1500円)を開いてみよう。東海道新幹線の東京-新大阪間開業直前のダイヤが楽しめる。優等列車がひっきりなしに走っている東海道・山陽線のページ。荷物列車などとともに「修学旅行用電車」の時刻も掲載されている。専用の155系を使用した「ひので」「きぼう」だ。

 両列車が登場したのは昭和34年4月。20年代後半から、戦時中は中止されていた修学旅行が本格的に復活したが、当時の国鉄は車両不足などの影響で輸送力は万全ではなく、子供たちは車両をかき集めて仕立てられた臨時列車の利用、ただでさえ混雑している定期列車での一般客との混乗を強いられた。このため、学校関係者から東阪を結ぶ修学旅行専用電車の開発を望む声が挙がり、その結果生まれたのが155系だった。

 列車名は公募で決まり、「きぼう」が関西発、「ひので」が関東発の学生が利用。155系は12両、もしくは8両編成で、山岳路線の小さなトンネル区間も走れるように屋根を低くし、塗装はレモンイエローとライトスカーレットのツートンカラーと、これまでにない明るい配色。座席は定員確保のため、4人ボックス席と6人ボックス席。飲料水タンクのほか、車内にはスピードメーター、テーブルも設けられ、「動く教室」として人気を博した。

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