映画監督の大林宣彦さん死去 「転校生」「時をかける少女」

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平成8年9月、30周年を迎える「日曜洋画劇場」について記者会見する淀川長治さん(右)と大林宣彦監督=東京都内のホテル

平成8年9月、30周年を迎える「日曜洋画劇場」について記者会見する淀川長治さん(右)と大林宣彦監督=東京都内のホテル
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 「転校生」「時をかける少女」などの作品で知られる映画監督の大林宣彦さんが10日、肺がんのため死去した。82歳だった。

 葬儀・告別式は近親者で執り行う。後日お別れの会を予定。喪主は妻、恭子(きょうこ)さん。

 大林さんは昭和13年、広島県尾道市出身。31年、成城大学文芸学部に入学し、在学中から8ミリカメラで作品を発表。38年に16ミリの「喰べた人」がベルギー国際実験映画祭で特別賞を受賞。昭和39年ごろからCM製作に乗り出し、当時としては画期的だった外国人俳優を起用したチャールズ・ブロンソンの「マンダム」、高峰三枝子さんと上原謙さんの「国鉄フルムーン」などで大きな反響を呼んだ。

 まだ助監督を経験しない監督がめずらしかった52年、初の商業映画「HOUSE/ハウス」を発表。アニメや書き割り、合成などを駆使した新感覚のホラー作品で注目を集めた。

 その後、「ねらわれた学園」(56年)で薬師丸ひろ子さんを演出。続いて、「転校生」(57年)、「時をかける少女」(58年)、「さびしんぼう」(60年)の「尾道3部作」を製作し、人気を不動のものとした。

 その後も「異人たちとの夏」(63年)、「青春デンデケデケデケ」(平成4年)、「野のなななのか」(26年)などの傑作、話題作を数多く発表。平成28年に肺がんであることを公表したが、病をおして檀一雄原作の「花筐(はながたみ)」を29年に公開し、高い評価を得た。

 遺作となった「海辺の映画館-キネマの玉手箱」は、10日に公開予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大のため公開が延期。その日に帰らぬ人となってしまった。

 平成16年に紫綬褒章、21年には旭日小綬章を受章。

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