【国難に思う】本当に大切なもの見直すチャンス 作家・多和田葉子

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作家の多和田葉子さん(酒巻俊介撮影)

作家の多和田葉子さん(酒巻俊介撮影)

 新型コロナウイルスの感染速度を抑えなければ、イタリアのように急に患者が増え、医療施設が受け入れ切れなくなる。そんな事態を防ぐため、ドイツでかなり厳しい社会生活の制限が始まってから、すでに約3週間がたった。学校が閉鎖されたのはそのまた1週間前である。

 外出禁止と言っても食料調達と散歩は許されている。ベルリンの町を歩いていると、小さな子供を連れた若いお父さんやお母さんの姿が目につく。保育園や幼稚園に子供を預けることができないので一日世話をしなければならない。楽しそうな親も疲れ切った顔の親もいる。子供の世話をしながらの在宅勤務は大変だろう。公園はテープが張り巡らされ立ち入り禁止、動物園も自然博物館も閉館なので行くところに困るらしい。ある小さな市民図書館は、子供が電話して「こんなお話が読みたい」と話すと、その子の好きそうな本を探して外の台に出しておいてくれるというサービスを始めた。

 学校も大学も閉鎖されている現在、教育はある程度オンライン化されているが、これをきっかけに社会がその方向に進むとは限らない。逆に、生身の人間が集まって顔を見ながら話をしなければ、歴史も文学も学べないことを今しみじみと感じている人も多いようだ。

 若者には、数人で集まりたいという欲望が強い。「たむろする」ことも成長期には必要なのだろう。学校が閉鎖されると退屈したティーンエージャーたちは頻繁にパーティーを開き始め、「コロナ・パーティー」という言葉まで生まれた。パーティーが禁止され、クラブもバーも喫茶店も閉まってしまうと、狭い売店の奥に集まってビールを飲む若者たちの姿が目についた。携帯を使ったやりとりだけでは孤独を感じるのだろう。そのうち規則はさらに厳しくなり、3人以上で集まることが禁止された。

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