平成26年に発生した、52歳の女性経営者が殺害された事件。遺体には数十箇所以上の刺し傷があり、強い殺意がうかがえた。被害者は周囲からの評判もよく、誰からも怨みを買うような人物ではないと思われていた。しかし、後に逮捕された犯人は、被害者の「継母」にあたる女性の実の娘だった。この継母殺人事件の犯行動機は、実に30年にも及ぶ「積年の怨恨」とされた。その背景には、加害者である娘の実父と被害者の長年にわたる不倫関係があった。平成26年に起きたこの凄惨な事件の顛末を、裁判記録や関係者の証言からたどる。
怨恨の根源:実父の不倫と略奪婚
裁判で検察は、遺体の状態から強い殺意と計画性を指摘し、懲役18年を求刑した。一方、弁護側は、犯行の背景には30年にわたる長年の怨みがあり、それには相当な理由があったと主張した。
その怨みとは、加害者の実父と被害者である継母(聡子さん)の不倫関係に端を発する。実父と聡子さんは、平成9年に実父が娘の実母と離婚する以前から長年にわたり不倫関係にあったという。実父は離婚成立のわずか3か月後、聡子さんと再婚。当時24歳だった娘は、実母が家を出て行った後に、その不倫相手であった聡子さんが入れ替わるように家に入ってきた状況を目の当たりにした。
対照的な人生と募る娘の怨み
娘はその後結婚し、4人の子をもうけたものの、事件当時は生活保護を受給しながら困窮した生活を送っていた。その一方で、実父の不倫相手から継母となった聡子さんに対し、金銭的な援助を頻繁に要求していたという。聡子さんもまた、過去の経緯からか、娘の要求にたびたび応じていたようだ。
聡子さんは経営者として成功し、経済的に余裕があり、宝塚観劇などを楽しむなど、充実した日々を送っていた。困窮する自身の境遇や、不倫によって家庭を壊された実母の苦労と、裕福で満ち足りた生活を送る聡子さんを比べ、娘は激しい怨みを募らせていった。
女性二人のシルエットイメージ、長年の怨恨が招いた悲劇
困難を極めた捜査と母の説得
警察は事件の早い段階から娘の存在を把握していたとされる。しかし、犯行を決定づける証拠が得られなかったため、逮捕までには2年の月日がかかった。その間も娘に対する事情聴取は繰り返し行われたが、娘は一貫して関与を否定し続けた。逮捕後も20日間にわたり否認を続けていた娘の固く閉ざされた心を開かせたのは、実母の言葉だった。
「あなたがやったのなら、認めたほうがよい」
自身よりもはるかに苦しい経験をしてきたであろう母親のその言葉に、娘はついに犯行を認め、すべてを語り始めた。
裁判での主張と判決
平成29年9月29日、大津地方裁判所にて、伊藤寛樹裁判長は娘に対し懲役15年の判決を言い渡した。
裁判長は、「長年の怨みの感情が犯行に影響していたことは考慮するが、あなたの人生には支えとなる出来事もたくさんあったはずだ。今後の人生で何を大切にすべきか、よく考えてください」と諭した。判決を聞きながら、娘は手に握りしめたタオルで何度も涙をぬぐった。
長年の怨恨が悲劇を引き起こしたこの事件。実父の不倫という過去の行動はある意味で被害者に代償を払わせたが、そして今、加害者である娘が自らの殺人の罪を償う番である。人の心を呪っても何も生まれないという教訓を改めて突きつける結末となった。
出典:『好きだったあなた 殺すしかなかった私』(鉄人社)、事件備忘録@中の人、高木 瑞穂/Webオリジナル