【福知山脱線事故15年】線路に沿って来年こそ 負傷女性の思い

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メモリアルウオークのコースに予定されていた線路沿いの遊歩道=25日午後0時54分、兵庫県尼崎市(沢野貴信撮影)

メモリアルウオークのコースに予定されていた線路沿いの遊歩道=25日午後0時54分、兵庫県尼崎市(沢野貴信撮影)

 JR福知山線脱線事故から15年となった今年は、事故の負傷者らが現場周辺を歩く恒例の「メモリアルウオーク」も新型コロナウイルスの感染拡大で中止に。今年は初めて、そのルートに福知山線の線路沿いが設定されていた。

 ウオークは「負傷者と家族等の会」が毎年開催。今年の線路沿いのコースを提案したのは、事故で重傷を負った兵庫県川西市の女性(53)とその夫(57)だ。みんなで線路沿いを歩き、行き交う電車の乗客にその様子を見てもらう。その何げないワンシーンこそ、夫婦が15年かけてたどり着いた「前進の証し」だった。

 あの日に引き戻される-。線路沿いのルートはウオークで避けられてきた。電車の走行音や踏切の音を聞くだけで記憶がフラッシュバックし、体が硬直して冷や汗が止まらない。そんな負傷者の声が多かった。

 女性は今でも季節の変わり目には古傷が痛む。15年前、3両目に乗車して腰の骨を折るなどの重傷を負った。事故後も足が思うように動かず、寝たきりの生活を覚悟したこともある。

 リハビリの成果もあり歩けるようになったが、炊事や洗濯の際にも突如襲ってくる激痛に悩まされるようになった。生き残った者の罪悪感という、負傷者特有の感情にも苦しんだ。

 そんな苦労を支えてくれたのが、負傷者やその家族でつくる会の仲間たちだった。事故後、友人にも打ち明けられなかった思いを、同じ境遇の負傷者には吐き出すことができた。うなずいて聞いてくれるだけで、孤独感が癒やされた。

 昨年秋、事故後初めて、現場近くの線路沿いを歩いた。通り過ぎる電車の走行音に時折、身がすくんだ。だが夫が隣にいる安心感からか、次第に慣れていった。「ついに歩けるようになった」という達成感に続いて、自然と気持ちがわいてきた。「みんなと一緒にまた来たい」

 今年2月、ウオークについての話し合いで、夫婦は思い切って線路沿いのルートの追加を切り出した。反対の声は一つもなかったという。

 新型コロナの影響で開催は中止となり、念願のシーンの実現はお預けになったが、女性は「不安に駆られることもあるが、収束に向けた長い道のりを越えるまでの辛抱。来年、2年分の思いを込めましょう」とほほえんだ。

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