25歳にして、36人抜きで真打に昇進するなど早くから注目されてきた。落語界初となる日本武道館での独演会、菊池寛作品の落語化など新しい取り組みにも積極的だ。「こんな噺(はなし)家(か)がいたらいいな、と思ったことをおもしろがりながらやってきた」と振り返る。
受章は亡き春風亭柳朝(りゅうちょう)師匠への「恩返し」だ。人がやっていないことをやりたがる自分を「おもしろいじゃないか」と許してくれた師匠たちのおかげで今がある。柳朝師匠から「小朝は落語以外をやろうとする」と相談された故・古今亭志ん朝さんも「こいつは落語以外をやったらやった分だけ落語に戻ってくる奴だ」とかばってくれた。その言葉はときにプレッシャーにもなったが「その通りだった。すべての経験は本業に生きる」と実感している。
芸術性の高いものからくだらないものまで、振り幅の大きな噺家になりたい。「自分の落語を聞いて『この噺家はいいね』と思えるようになるのが目標です」。目指す場所はさらに上にある。(道丸摩耶)