拉致解決は私たちが継ぐ 横田滋さん、内外動かした行動と決断

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横田めぐみさん(中央)の帰国を願い続けた父・滋さん(左)と母・早紀江さん=平成17年4月24日、東京都千代田区の日比谷公会堂

横田めぐみさん(中央)の帰国を願い続けた父・滋さん(左)と母・早紀江さん=平成17年4月24日、東京都千代田区の日比谷公会堂

 昭和52年11月に北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で、5日に87歳で亡くなった拉致被害者家族会初代代表の横田滋さんは、行動と決断で、政府に拉致問題解決を迫ってきた。愛娘(まなむすめ)の救出に生涯をささげた滋さんの生き方は、重大な国家主権、人権の侵害でありながら問題視されることもなかった北朝鮮の拉致問題に国際社会の目を向けさせる一方、日本には国の在り方を問いかけてきた。

仲間勇気づけ、時には体を張り

 平成9年3月、家族会代表に就いた滋さんは会の結成理由をこう語った。「共通認識を持った家族が一つになることで、少しでも事態が前進すればと考えた」

 世間の関心が拉致問題に向いた時流を逃さず、組織的な運動に打って出るという滋さんの判断はやがて、世論を大きく動かす。

 「家族は皆、滋さんに勇気づけられてきた」。家族会結成当初から参加した市川修一さん(65)=同(23)=の兄、健一さん(75)も、修一さん失踪後、つらい日々を過ごしていた。「滋さんはわれわれの先頭に立ち、誰も関心がなかった拉致事件を全身全霊で日本全国に知らしめた」(市川さん)。

 ときの首相ら政治家にも救出運動の後押しを求めつつ、体を張る行動もいとわなかった。17年、北朝鮮側の不誠実さに交渉の手掛かりを欠く日本政府に対し、滋さんは「対北経済制裁発動」を求め座り込みに出る。「拉致被害者全員を取り戻すという国家意思を示すこと。躊躇(ちゅうちょ)していると拉致問題を重視していないという大変危険なメッセージになりかねない」。滋さんは高齢を押し、身をもって政府に毅然(きぜん)とした姿勢を求めたのだ。

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