「拉致問題解決は一刻を争う日本の国家の問題だ」 横田滋さん死去で早紀江さんら家族が記者会見・詳報(下)





横田滋さんの棺には、めぐみさんのこの写真が掲載された新聞紙面が納められた=昭和51年10月、拉致される前の最後の家族旅行となった新潟・佐渡島で撮影

 東京・永田町の議員会館で9日、北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で5日に亡くなった拉致被害者家族会初代代表の横田滋さんの妻・早紀江さん(84)、双子の息子、拓也さん(51)と哲也さん(51)が行った記者会見の主な質疑応答は次の通り。

 

--早紀江さんに。滋さんと一緒に40年以上戦ってきたが、最期にかけた言葉は

早紀江さん まだ耳は聞こえていたので、お父さん、今までは大丈夫だと言い続けてきたが、天国に行けるんだからね、と言いました。懐かしい方がみんな待っててくれるんだよ、気持ちよく眠ってください、私が行くときは待っててね、と言ったら、すっと涙を流したようで。すっと眠るように。

哲也さん 最後の瞬間、その後に右目の内側に一粒の涙がありました。母の声が聞こえていたのではと。

--滋さんはどのような旦那さん、お父さんでしたか

早紀江さん ぼくとつで器用ではなかったが、全身全霊打ち込んでものすごい頑張り屋の人だった。病床でもいたいと言わなかった。病院でもいい笑顔だねといわれ、大事にしてもらったこと感謝申し上げます。

 子供が大好きで、国内旅行が多かったが、いつも子供と国内いろんなところを旅行し、いろんな写真があり、本当にいいお父さんだった。自分が倒れるまでは、ちょっとでも私がマッサージして、毎日通って、頭とかも血流をよくしてやってあげたのが良かった。それができれば何もしてあげられなかったかもしれないが、一番いい形で見れて感謝しています。

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